キマイラ・バレンタインデー

 初恋の相手の命日が二月十四日、つまりバレンタインデーだという男は俺の他にどのくらいいるのだろうか。今年であれから三度目のバレンタインデーになるが、脳裏にちらつくのは誰かへ送るチョコレートを胸に抱いて交通事故に遭った、あの幼馴染みの顔だ。幼稚園の頃から一緒にいた女の子に恋をし始めた中学三年の冬、唐突に彼女がいなくなってしまった。

 持っていたハート形のチョコレートは誰へ送るものだったのか、今となっては分からない。もしあいつも俺と同じ気持ちだったなら、と考えては途中で止める。無意味だからだ。高校へ進学し、あいつのいない生活を送って三年。もうすぐ卒業だというのに、まだこの日が来ると空しくなってしまう。
 いつもなら部活で発散させているが、今年の二月十四日は土曜日、休みだ。まあチョコレートのやり取りをしている女子共を見ないで済む分いいかもしれない。最近魔物の生徒たちは媚薬入りだということを隠しもせず送るようになったため、今日が平日だったら学校はえらいことになっていただろう。

 進学先からは内定をもらっているから、受験勉強もすでに終わっている。今日は何もやる気がしないし、一日中ベッドの上で時間が過ぎて行くことになるだろう。今日は親も出かけており、飯はカップ麺でも適当に食べればいい。

 そう思っていると、ふと枕元で携帯が鳴った。メールだ。表示されている名前は淀岸千代子……同じ演劇部の友達だ。いつも休日になるとメールが来て、内容は常に同じ。

『遊びに行ってもいい?』

 少し考えた末、『いいよ』と返信する。ゲームとお茶菓子を目当てにやってくる女友達だが、いれば気が紛れるかもしれない。あいつは空を飛べる魔物だからすぐに来るだろうし、ストーブを点けておこうとベッドから体を起こす。

 その直後。窓ガラスを叩く音がした。ここは二階、その窓を叩くなんていうのは人間にできることじゃない。振り向くと翼を羽ばたかせてホバリングするキマイラが、俺を見てにんまりと笑っていた。

「もう来やがったのかよ……」

 たまに彼女はこういうことをする。家の前まで来てから行っていいかとメールしたり、連絡も無しに来たり。そうかと思えば手土産持参で、玄関で行儀良くお辞儀をして入ってくることもある。
 窓を開けてやると、外の冷たい空気が羽ばたきに煽られて部屋に吹き込んできた。たまったもんじゃないが、千代子は構うことなくホバリングしたまま部屋へ入ってくる。机の上のプリントがバサバサと宙を舞った。

「ちゃんと玄関から入れって言っただろ!」
「寒いなー、お前の部屋。暖房くらい点けとけよ」

 俺の抗議なんて構いやしない。着地して勝手にストーブのスイッチを入れ、俺のベッドにどかっと腰掛ける。寒いと言っているがこいつの服装の方がずっと寒そうだ。ノースリーブのタートルネック、しかも一時期話題になった、胸の谷間が出る奴。両腕はそれぞれ山羊の体毛と竜の鱗に覆われ、ついでにその頭までついているため、意外に寒くないのかもしれない。下半身はミニスカ―トに黒のストッキング。お尻から生えている尻尾は蛇の頭だ。最初に会ったときはかなりのインパクトを受けたが、このキマイラという種族、本当に凄いのは体ではなく中身の方だ。

「どうせ暇してるだろうと思って来てやったんだぜ、演劇部の大スターのオレ様が。有り難く思えっての」

 彼女は黄色と緑のオッドアイでじっと俺を見る。ライオンの耳がぴくぴくと動いていた。

「この寒いのに窓から入ってくるなってんだよ。お前の翼結構風起きるんだから」

 そう言うと、目つきの悪い顔が急にきりっとした美人の表情になった。そしてぺこりと頭を下げる。

「すまないね、修一。ボクは脳内会議で、玄関から入るよう主張したのだけど」
「いきなり竜チョコになるなよ……」

 キマイラの演劇部員、淀岸千代子。通称チョコ。
 一つの体に複数の人格が宿っているキマイラの特性を活かし、演劇部員として活躍している俺の女友達だ。あるときはしとやかなお姫様、またあるときは暴虐の限りと尽くす犯罪者と、どんな役でもこなしてしまう。騎士に扮した時は学校中の女子からファンレターが届くしまつだった。加えて舞台裏の作業にも明るく、大道具担当の俺とはよく話す機会があり、休日に一緒に遊ぶようにもなったのだ。

「まったく、獅子チョコはガサツで困るよ。そもそもこの翼はボクの物だから、飛ぶのはボクに任せろと言っているのに」

 背に生えた竜の翼を撫で、チョコはぼやく。内部に住んでいる四つの人格は、それぞれ体の対応する部位から、獅子チョコ、竜チョコなどと呼称する。

「まあいいか。じゃ、FPSやるか?」

 得意なゲームもまた人格によって異なるのだ。竜チョコはシューティングゲームが大得意で、獅子チョコは格ゲー専門、
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