第八話 「コンターック!」

 よく晴れた朝の港。風は穏やかで波も低い、良い天気だ。町の軍港に繋留された零観は波に揺られてゆっくりと上下している。コルセアに空けられた穴は完璧に塞がれ、塗装されていた。米軍の重戦闘機コルセアは機銃を六丁装備、それが四機で襲ってきたので二十四丁の機銃に狙われたことになる。しかし今ではもうそこに弾痕があったことすら分からないほどだ。飛行機用の治具類もない中でここまで徹底的に直すとは、親父殿の腕には驚嘆せざるを得ない。

 発動機の改造も何とか上手くいったようだ。昨日地上で試運転を行い、プロペラは問題なく回った。そして今日、零観は再び海へ還され、今から空へ還る。フィッケル中尉の機体とは大分構造が違うため苦労していたようだが、俺がカレー屋で生活費を稼げるようになった頃には改造作業も軌道に乗っていた。おまけに元はエナーシャを回さなければエンジンを始動できなかったのに、操縦席からの操作のみで始動できるようにまで改造された。つくづく魔物というのは凄い。
 だが空を飛べるわけでもない一つ目女が、試験飛行に便乗したいと言ったときには驚いた。

「本当に一緒に来るのか? 危険かもしれないぞ」

 桟橋の上で最後の確認をする。防寒用の毛皮帽子を被ったナナカは「分かってる」としか答えない。

 零観は複座式なので二人乗った状態を前提としたバランスで設計されており、一人で飛ぶのは不安定だ。俺がこの世界に来たとき、一人だけだったにも関わらず雨中着水を成功させられたのは天佑神助と言わざるを得ない。だが複座の練習機で単独飛行をする際は座席にバラストを置いて重心を調節するし、今回もそうするつもりであった。動力源がガソリンから『魔力』という、海の物か山の物かも分からん代物に変わってから初の飛行である。フィッケル中尉のシュトルヒは問題なく飛んでいるが、俺の零観も上手くいくとは限らない。万一があったとき犠牲者は少ない方が良い。
 それも命の恩人であり、惚れた女であるナナカを危険に晒したくはない。だがナナカの決意は硬かった。

「ジュンのことをもっと、知りたいから……どうしてこの乗り物がそんなに好きなのか、知りたいから。だから一緒に飛びたい」

 彼女らしい、毅然とした態度だった。周囲には領主他、改造に関わった面々が並んでいるが、誰一人ナナカを止めようとはしなかった。自らの責任において行動するということで話がついているらしい。それだけ自分たちの技術に自信があるのかもしれないが。

「ジュンちゃんよォ。ナナカの我が侭、聞いてやってくれねぇか」

 同じく修理に関わった親父殿が、ドングリ眼で俺を見上げた。

「こいつに見たことのない景色を見せてやってくれや。頼むよ」
「……分かりました」

 ナナカのためになることをしてやって欲しい、と親父殿は言っていた。飛行機で飛んでみることが、娘にとって何かの糧になると思ったのだろう。
 こうなれば意地でも無事に飛行を成功させるしかない。俺としてもせっかくカレー屋が評判になってきたのに死にたくはないし。

「よし、乗りな!」

 彼女に笑いかけ、桟橋から零観の下翼に乗り移る。翼間支柱に捕まり、揺れる機体の上で操縦席へ向かう。この動作は颯爽とできるようでなくてはいけない。地上にいるときはともかく、機上では飛行機乗りはカッコ良くなければならないのだ。
 続いてナナカも翼に足を……

「こらこらこら! エルロンに乗るなエルロンに!」
「そこは布張りだ! ジュンちゃんが踏んだところを歩け!」
「あぅ……」

 一瞬冷や汗を掻いたが、ナナカもどうにか後部座席まで辿り着いた。飛行機の翼というのは上に乗っても大丈夫な箇所が少ないのだ。アメリカ製はもっと頑丈かもしれないが。
 この世界へ来てから一ヶ月と半程度しか経っていないが、随分長いこと飛行機に乗っていないような気分になる。それでも徹底的に叩き込まれた操縦士の感覚は体に染み付いていた。後ろへ身を乗り出し、ナナカにベルトの留め方を教えた。ナナカの毛皮帽子は伝声管の受話器を装着できるよう、親父殿が金具をつけていたようだ。吹きさらしとは言えエンジン音もあるので、機内通話には伝声管が必要なのだ。

「一番左が時計、その隣が大気温度、次が高度、一番右が速度を表す計器だ」

 後部座席の計器類を興味深げに見ていたので、必要はないだろうが教えておいた。港から離れて飛ぶことはないので航法は必要ないし、教えても一朝一夕でできるような技術ではない。そして配電盤には触らないようにと言った。

「しっかり見てこいよ、ナナカ」

 親父殿は笑って陸地へ駆けて行き、領主の側で俺たちを見守る。中尉と姫様もその隣にいた。しかし領主は俺たちよりも、これから上がる空の様子を気にかけているようだ。今日は良い飛行日和だが、領主は天候を
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