「俺は娘がここに住んでから、何度か遊びにはきたがな。いつも男っ気なんてもんはなかった」
鍾馗髭親父はカレーを頬張りながら、どんぐり眼で俺を見ていた。
「あいつぁ清楚で一途でな。まあ逆に考えれば何で男が寄ってこねぇのかって話になるがよ。……美味ぇなコレ、何て料理だ」
「カレーライスです。何でって、こんな人気のねぇ所に住んでるからだと思いますがね」
髭にカレーがついているのを見て思わず笑いそうになったが、ぐっと堪えて話を返す。ナナカは工房に引っ込んでおり、俺はこの親父殿と二人だけだ。俺が居候だと言うと、親父殿が二人でじっくり話をしたいなどと言い出したのだ。そのため鍋にたっぷり作ったカレーを振る舞うことになった。
「それもあるがな。しかしそのあいつが男を連れ込むたぁ、思ってもみなかった」
「いえ、俺が転がり込んだんですよ。そうしなきゃ俺は低体温症で死んでいたでしょう。あいつは命の恩人でして」
「おう、そうかそうか! さすが俺の娘だ。ワハハハ!」
親父殿が笑う度にボロ屋が震動する。そのうち崩れるのではないかと心配になってきた。この小さい体のどこからこんなデカい声が出るのやら。体格の割に頭が大きいし、魔物と同じく耳が尖っているし、どうも人間ではないらしい。魔物は女しかいないというから、もしかしたら魔物と結婚すると体がこうなるのだろうか。だとしたら困る。背が低くなっては飛行機のフットバーに足が届かない。
町にこんな男はいなかったし、それはないか。ともあれあのナナカの父親だけに、ただ者ではないのは間違いない。
「お前、どこから来た?」
「日本です」
「ニホン? 聞いたこともねぇな、遠い国か?」
「遠いですね。二度と帰れねぇくらいに」
すると親父殿はドングリ眼を細めた。髭にはカレーがついたままだ。
「……もしかして、異界の人間か」
「よくご存知で」
「レミィナって姫様とはもう会ったかい?」
意外な名前が飛び出した。この野生の猛獣のような親父が王侯貴族と関わりがあるようには思えない。だが実際あの姫様のことを知っているようだ。
「ええ、お姫様ともフィッケル中尉ともお会いしました」
「そうかい。姫様からそのヴェルナー・フィッケル卿の話は聞いてたが……」
そう言って、親父殿は残りのカレーを一気にかき込んだ。そして皿をこちらへずいっと突き出し、「もう一杯」との注文。言われるままにカレーを盛り、ついでに自分の分ももう一杯盛る。
「他に住む所がないなら、ここにいな」
「えっ……」
これはまた意外な言葉だった。娘の家にいきなり何処の馬の骨かも分からん男が居候を始めたのだ。出て行けというのが普通だろうに。だが親父殿は俺に笑顔を向けた。
「それがナナカにとってもいいだろうからな。鍛冶屋としても、『ヒト』としても。あいつは周りが見えないからよ」
匙でカレーをかき込む親父殿の手は火傷だらけで、剥けた皮が硬く、分厚くなっている。この人もナナカやその母親同様に鍛冶屋のようだ。ナナカはそんな両親の背中を見て育ったのだろう。そして追いかけているのだろうが、まだ彼女は自分が納得できる打ち物さえ作れていない。親父殿としてはそんな娘に何か思う所があるらしい。
「娘に恩を感じているなら、あいつのためになることをしてやってくんな」
「……はい。必ず」
頭を下げ、俺は親父殿に約束した。何をどうすればいいのかはサッパリだが、それでも約束した。
何かのために……空しい言葉だと思っていた。祖国のために飛び、戦い、死んで行った連中が報われたようには思えないからだ。だが惚れた女のために生きるというのなら、そう悪くはないだろう。お国から遠く離れてしまった、今となっては。
……そして、一週間後。
「ジュンさん、カレーくれ!」
「俺はシャハンメンで」
昼飯時に港へ屋台を曵いて行くと、すぐさま客が来る。大抵が港の労働者や水夫たちで、人間もいれば魔物もいる。カレーの匂いというのはあらゆる知的生物の脳を誘惑するのだ。どいつもこいつもガツガツ食っていく。
屋台には『せんざい亭』の看板をかけ、ナナカにこの世界の文字で読みを書いてもらった。店名は以前乗っていた母艦が由来だ。品書きはカレーの他にシャハンメンも追加した。海軍式の中華そばで、艦内でこぼれにくいよう汁にとろみをつけてあるのが特徴である。「とろみのある汁」という単語を聞いた桃色の人魚がいきなり発情したのには参ったが、これもなかなかの売れ行きだ。
しかし自分で実際にやってみると、主計科の苦労がよく分かるというもの。下ごしらえは済ませてあるが、次々と来る客に迅速に飯を提供しなくてはならない。暇を見て食器も洗わなくてはならないし、一人でやるのはなかなか大変だ。
しか
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