曇り空の下、林の中の小道。馬車を曵く馬に、必死で鞭を当てる。
馬が疲れているのは走り方を見れば分かるが、後ろから追いすがってくる騎兵を見ては休ませてやるわけにもいかない。しかし徐々に限界が近づき、脚が遅くなってくる。
そして背後から迫る馬蹄の音が、次第に大きくなる。
「もう少しだ、頑張ってくれ!」
励ましの声に応えて、馬は雨の中を懸命に走る。馬車はガタガタと揺れ、車輪の軸の軋む音が聞こえる。追ってくるのはつい最近まで同胞だった連中だ。だが俺を捕らえようとするのは当然のことだろう、少なくともあいつらの立場からすれば。
何せ俺は教団の騎士でありながら、魔物の領土に亡命しようとしているのだから。
教団への裏切りは主神への裏切り。それは死に値する罪。誰もが分かっていることだ。先に裏切られたのはこちらの方だという訴えなど、誰の耳にも届きはしない。
例え背信者の汚名を着せられることになろうと。煉獄へ堕ちて未来永劫苦しむことになろうと。
俺はこうするしかない。妹を救うために。
「マナ……!」
名を呼びつつ振り返っても、幌馬車の中に横たわる妹から返事は返ってこない。虚ろな瞳でぼんやりと虚空を見つめ、ただ息をしているだけだ。
死んでなどいない。スプーンで麦粥をすくって口元に持っていけば食べるし、排泄もする。夜が来れば眠る。ただそれだけだ。俺の声も、他のどんな音も景色も妹に届かないし、彼女が立つことも歩くこともない。生きているというよりも、死んでいないだけ。
妹がそうなってしまった理由を知り、俺は背信者となった。そして彼女を助けるため、今こうして逃げている。
だが追っ手の足音はすでに、すぐ近くまで迫ってきていた。
馬は懸命に走る。だが十字路に差し掛かったとき、横道からも蹄の音が聞こえた。次の瞬間には目の前に騎兵が躍り出る。それも複数。反射的に手綱を引き、馬の脚を止める。
「うっ……!」
刹那、右の肩、左の腕に鋭い痛みが突き刺さった。しくじった。弓騎兵に先回りされていたとは。
停止した馬車を取り囲み、騎士たちは俺に槍と弓を向ける。
「降伏しろ、ヴィンデン! 武器を捨てて降りてこい!」
奴らがそう呼びかけてきたのは、仮にもかつての同胞であった俺への慈悲だろう。知っている顔も何人かいる。
「一時の気の迷いなのだろう!? 我々も司祭様に口添えする! 戻ってこい!」
気の迷い? 司祭への口添え?
馬鹿げている。あの司祭が俺とマナを裏切った。教団が……神までもが俺を……
選べる道など一つしかなかった。体に矢が刺さったままサーベルを抜いたその瞬間、再び矢が飛来する。
だが二度も喰らいはしない。立ち上がりつつ片端から払い落とし、駆け出す。腕の矢傷がじわりと痛んだ。もしかしたら毒も塗ってあるかもしれない。
敵の殺気を読み、二本、三本と飛来する矢をかわし、剣で払う。地を蹴って跳んだ。馬の頭を飛び越え、宙へ躍り上がる。
『神燕の剣』……そう称された技で、弓騎兵の一人を急襲する。軽装だったそいつは咄嗟に弓で身を庇い、俺はその腕に上空から剣を振り下ろした。
「ぐぁぁっ!」
悲鳴が響き、切断された弓、そして血しぶきが宙を舞う。着地したとき、そいつは落馬して地面に転がっていた。
今度は槍の穂先が近づいてくる。研ぎすまされた、祝福を受けた聖槍だ。それが背信者である俺の胸を突く前に、再度跳躍する。槍が空を切った瞬間、俺はその槍を上から踏みつけ、蹴り落とした。
相手がひるんだのは一瞬。その隙を突く。
脚を狙って繰り出した一撃に確かな手応えを感じた。追撃戦のため相手は皆軽装騎兵、防具は最低限のものだけだ。サーベル一本でも十分に倒せる。
だが、俺ももはやこれまでだろう。剣を振るう度に傷の痛みが増すし、それに続々と増援が近づいてきたのだ。同時に矢傷の痛みが痺れに変わり、全身に広がっていく。
矢が飛び来る。炎も舞う。魔道騎兵まで投入してきたようだ。
それでも動かなくなりつつある体を、無理矢理動かすだけの力が俺にはあった。サーベル一本を頼りに矢を叩き落とし、槍をかわし、宙を舞って敵の血を降らせる。
「麻痺毒が効いてないのか!?」
「もっと矢を射かけろ! 早……ッ!」
叫んでいた奴の顔面に飛び蹴りを入れ、落馬させる。馬の鞍を踏み台にしてさらに跳躍。次の獲物を剣にかける。
死角から矢で狙ってくるものがあっても、射る瞬間の殺気を読んで避ける。魔法も同じだ。
「マナァァーッ!」
妹の名を叫び、毒のまわっていく体に力を入れる。矢を叩き落し、その矢を射た敵兵を馬から叩き落とす。
しかし次第に、高く跳べなくなってくる。翼がもぎ取られ始めた。サーベルを握る手にも力が入らない。
迫って
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