「……腹減ったぜ」
ハンモックの上で目を覚まし、口から出た第一声がそれだった。あれだけ雨に打たれて衰弱したのに、食欲だけはあるとはさすが俺だ。だが操縦席が吹きさらしの機体で豪雨の中を飛び続けた上、場所も分からん所に不時着水というのはさすがに辛かった。体がだるくてたまらないが、仲間うちで化け物呼ばわりされた俺の体は辛うじて起き上がることができた。
揺れるハンモックの上から何とか降り、木の床に足をつける。ぎしっと床板が軋んだ。
さて、ここは何処なのか。まずは状況を把握しなくてはならない。あのまま目が覚めなければ面倒はなかったが、命がある以上はいろいろと考えなくてはならない。とりあえず服は奇麗にたたまれ、足下に置いてあった。分けの分からん場所で素っ裸で過ごしたくはないので、ふんどしを締めて飛行服を着る。俺がどれだけの時間寝ていたのかは分からないが、服はちゃんと乾いていた。火にでも当ててあったのだろうか。
武器の類もナイフや拳銃はちゃんとある。カーテンの隙間から外を見ると、晴天の眩しさが目に染みた。白い砂浜と海が見え、遠くには砂浜に乗り上げた俺の愛機もちゃんとあった。そして視力の良い俺は愛機の傍らに立つ、人らしき姿も見えた。もし昨日見たものが夢じゃないなら、あれはきっと……。
「……行ってみっか」
半長靴の中に手を突っ込んでみると、これまたしっかり乾いている。履いたときほのかに温かみを感じたくらいだ。
部屋の中にはハンモックの他、机と椅子があるくらいで、木の板と暖簾のような布で隣の部屋と仕切られていた。それを潜るとそこは作業場のようになっており、鎚などの道具類が壁にかけられている。棚には斧や鎌の刃が入っていて、どうも鍛冶屋らしい。
作業場にある戸が、昨日俺がドンドン叩いて迎え入れられた戸のようだ。外の様子を伺いながら慎重に戸を開けるが、小屋の周囲には誰もいない。気だるい足で砂利を踏みしめ、外へ出る。潮風と波の音が心地よかった。海鳥の鳴き声も聞こえる。
「平和なもんだなぁ」
青く澄んだ空を眺めて、思わずため息をついた。オンボロ水上機で一人で飛び出し、空中戦をやり、いきなり雨が降ってきたと思えばこんな場所に放り出された。あの豪雨の中で着水できたのは俺の腕でも奇跡的だ。きっとここでは空襲警報が鳴ることもなかったのだろう。空気の違いが肌で分かる。
ではここがどこかと言えば、多分『あいつ』に聞いてみるしかないだろう。
愛機へ向けて歩みを進める。大小三つのフロートが砂にめり込み、複葉の翼は少々弾痕があるものの、思っていたほど酷くはやられていないようだ。俺も足は重くても、昨日の土砂降りの中よりはいい。
足音に気づいてか、俺の相棒を見つめていた女がこちらに目を向けた。あの一つしかない大きな目を。
どうやら夢ではなかったらしい。だが鬼女の姿は昨日のような、意識が朦朧としたときに見たよりもずっと鮮明だ。岩を削り出したような角も、青い肌もくっきりと見える。服は革製のベルトのような物を胸に巻き、下半身は半ズボンという格好で、青い肌があちこちに露出している。へそまで青いのかと妙なことに感心した。
異様な姿ではあるが、不思議と不気味さは感じなかった。その豊かな胸や柔らかそうなふともも、女にしては若干筋肉のついた腕。その体は昨日、俺を温めてくれた女体そのものだった。
「……おはようさん。泊めてくれてありがとうよ」
通じるかは分からないが、話しかけてみる。すると彼女の口から出てきたのは、聞いたこともない、意味不明な言語だった。
「日本語分からないか? 俺はジャパンだ、ジャパン」
機体の日の丸を指差し訴えてみるものの、向こうは大きな一つ目をしばたたかせるばかり。意外と可愛いもんだな、などと思ったが、やはりこちらの言葉は通じていないようだ。
すると鬼女は自分の胸に手を当て、俺の顔をじっと見つめてきた。
「ナ・ナ・カ」
はっきりした口調で、ゆっくりと喋る鬼女。何が言いたいのか一瞬分からなかったが、ハッと思い当たった。
「ナナカ?」
彼女を指差して聞き返すと、こくりと頷いてきた。じっと俺を見つめる単眼は深い藍色で、異様さはあっても何か奇麗なものに見えた。この化け物にとっては、俺ももしかしたら奇妙な存在なのかもしれない。それでも何とか自分の名前を伝えて、言葉は通じなくても話をしようとしているのだ。
分かり合える……俺も自分の胸に手を当て、はっきりと名乗った。
「順之介」
「……ジュン……?」
化け物ことナナカも俺を指差して、尋ねてきた。
「そう、ジュン」
頷いて見せ、続いて愛機を指差す。
「零観」
「ゼロ……カン」
呟きつつ、ナナカは俺の愛機をじっと見上げた。プロペラにそっと触れ、撫で
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