前編

「菊原君、いい加減に起きてください」

 布団にくるまっている俺に、女の子は優しく語りかけてきた。ここは男子寮のはずだが、人魔共学のこの学校ではもうお構いなしになっている。
 同じ寮生だが名前が思い出せない彼女は、俺が何の反応も返さないのを見て枕元まで寄ってきた。

「ねえ、菊原君。もうみんな起きて、雪かきしてるんですよ」

 叱るのではなく、優しく諭すような口調だ。しかし俺はそれに応える気にはなれず、布団の魔力に身を委ねていた。一旦起きて朝飯は済ませたが、部屋に戻ってきたらいつのまにかこうなっている。もはや布団は極寒地獄と化した世界から俺を守るシェルターとなっており、その限られた楽園から出ることなど不可能なのだ。

「家に帰れなくなってしまったから、みんなで寮の周りだけでも雪かきしなくちゃ……ほら、起きてください」

 そっと俺の肩を揺すってくる彼女。こちらは彼女のことをよく知らないのだが、相当な世話好きらしい。
 やむを得ない。全力で起き上がるしかない。立て、立つんだ俺。

「おぉぉぉぉぉ……!」

 腹に力を込め、全身で力む。燃えろ俺の小宇宙。布団の魔力を振り切るのだ。

「アンタレェェェェエス!」

 さそり座のα星の名を叫び、俺は掛け布団を一気にはねのけた。途端に肌寒さを感じる。ストーブはつけてあるのに。
 窓の外を見ると、大粒の雪がかなりの勢いで降っていた。空は分厚い雲で覆われており、いつこの雪が止むかは分からない状況。そして地面では学友達がせっせと雪かきをしているのを見て、若干罪悪感が湧いた。

「この季節にアンタレスは見えないと思いますが……」
「そう、さそり座は夏の星座だ。オリオン座が逃げ去った後にやってくる。あのS字カーブを描いた星の並びがたまらないんだよ」

 語りながら立ち上がり、ぐっと体を伸ばす。わざわざ男子寮まで起こしに来てくれたお節介な女子は、羽毛で覆われた尻尾を揺らしながらくすりと笑った。前述の通りよく知らない子だが、何度か見かけて「可愛いな」と思ったキキーモラの女の子だ。ふわふわした髪のおしとやかな子で、手首には種族の特徴である羽毛が生えている。キキーモラの寮生は他にもいるが、彼女たちは休日でも制服を着ているため目立つ。

「天文部だからって、いつも夜中まで星を見ているから眠くなるんですよ」
「しょうがないだろ、星は夜に出るもんだから。えーと……」
「衣良 香苗です」

 こちらの考えを読んだのか、彼女は自分から名乗ってくれた。彼女が俺を知っているのはまあ、意外ではない。口をきいたことはなくとも、仮にも同じ寮で暮らしているわけだし、彼女が言うように俺が毎晩天体観測をしているせいでもあるだろう。

「衣良さん、よくわざわざ俺を起こしにきたもんだね。誰かに頼まれたの?」
「いえ、美味しそうな匂いに誘われただけです」

 屈託のない笑顔で、衣良さんは言った。

「私、怠け者を食べちゃう魔物ですから。……危なかったですね」

 この人は逆らっちゃいけない部類の人らしい。










………











……





















「雪〜の進軍 氷を踏んで ど〜れが河やら道さえ知れず〜ぅ」

 大雪の休日。家に帰るはずが交通の便が麻痺してしまい、寮に居残った我々寮生を待ち受けていたのは雪かき、雪かき、とにかく雪かきだ。このままでは食料を届けに来るトラックが駐車場に入れないわけで、人間も魔物ももう必死だ。そんな時に寝こけていた俺こと菊原啓司は戦犯ものである。反省。

「馬〜は斃れる捨ててもおけず 此処は何処ぞ皆敵の国」

 軍事マニアの先輩から教わった歌をやけくそ気味に歌いながら、スコップで雪の中を掘り進む。とりあえず寮の周りだけでも歩けるようにしたいが、何せ続々と雪が降ってくるからキリがない。そこら中に膝まで埋まるほどの雪が積もっている。休日のためか役所も真面目に除雪をせず、道路では車がしょっちゅう雪にはまっているらしい。寮の周りを奇麗にしても、トラックが道中で止まらなければいいが……。

「まま〜よ大胆一服やれば 頼み少なや煙草が二本」

 雪をすくっては、腰の回転で後方へ投げ飛ばす。明日は筋肉痛が酷いだろう。
 この黒見坂高校は人魔共学のため、寮にも多くの魔物生徒が住んでいる。魔法を使えたり火を吹ける魔物もいるが、長時間炎を当てなくては雪は溶けないようで、同じクラスの魔女たちはエネルギー切れでへたり込んでいた。元々寒冷地の魔物であるイエティなどが頑張って除雪しているものの、空から降ってくる雪まではどうしようもない。ガスマスクをつけたマンティスが念力で止めようとするも無駄だった。期待していなかったが。

「命捧げて 出てきた身故 死〜ぬる覚悟で吶喊すれど〜ぉ」

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