煙突の中。もう慣れっことはいえ、とても狭苦しくて暗い空間だ。子供の頃でさえ辛かったのに、十八歳の今では余計に狭く感じる。溜まった煤をブラシでこそげ落としながらふと上を見上げてみれば、煙の出口から青空が見える。その突き抜けるような青を見上げるたび、この煙突の中が俺の人生そのもののように思えた。
そしていつも願ったものだ。ここから煙が立ち昇ように、俺も這い上がって空を飛んでみたい……と。
俺は実際に這い上がり、自分の新境地を求めてこの町へ来たはずだった。それなのに結局まだ煙突掃除をやっている。
もう俺の体は全身煤まみれだ。鼻と口を布で覆っているため体内には入ってこないだろうが、目の周りなどは真っ黒だろう。それでも汚れの落ちた煙突を見ればそれなりの満足感は得られる。何よりも俺を取り巻く環境自体が、以前に比べ格段によくなっているのだ。
「……よし!」
煙突の上を通り過ぎて行く鳥を見て、俺は改めて頑張ろうという気持ちになった。前の国で嫌々働かされていた頃とは違う。この町のためなら、俺は煤まみれでも頑張る気になれるのだ。例え好きでなったわけでなくても、良い思い出のない仕事であっても頑張ろうと。
そう思えるのだ。
………
……
…
掃除がようやく終わり、俺はしばし開放的な気分に浸った。暗い世界から出てくると太陽の光がつくづく眩しい。
今しがた奇麗にした教会の煙突を眺めながら、井戸に釣瓶を投げ込む。水の入ったそれを力一杯引っ張り上げ、澄んだ水で顔を洗った。額に着いた煤を落とし、頭からかぶって洗い流す。水は冷たいが、このときのすっきりした気分がたまらない。もっとも煤は細かいから、顔だけでなく服の内側にも入り込んでいるだろう。一日の終わりにはよく洗っておかないと病気の原因になる。
「お疲れ様、ニカノル」
シスター・シュリーが言った。この教会を取り仕切っている人で、とても優しくて奇麗な女性だ。普通の女性と違うのは体から触手が生えていることだが、このルージュ・シティでは取り立てて珍しい存在ではない。町を出歩けば下半身が蛇や蜘蛛だったり、体が粘液だったりする魔物がワラワラいる。流れ者の煙突掃除夫である俺が間借りしているこの教会でも、人間と魔物が和気あいあいと暮らしている。
「煙突掃除も大変でしょ。ありがとね」
「慣れてますんで。それに焼きたてのパンのことを考えればやる気も増すってもんですよ!」
そう言って、直後に猛烈に後悔した。俺が掃除していたのはパン焼き窯の煙突。そこで毎朝焼かれるパンの美味さを思い出してしまうと、急激に腹が減るのだ。
「ふふっ。これ、手間賃ね。何か美味しいものを食べてきなよ」
俺の心を読んだかのように、シュリーさんは硬貨を包んだ紙を渡してくれた。思っていたより重い。
「ちょっと多くないですか? 俺、食費は自分で稼いでるけど居候の身だし……」
ここは教会と言っても特定の神を崇めているわけではなく、冠婚葬祭を行ったり、孤児を引き取って育てたりする施設だ。この町は職人が多いだけに、教会でも子供に手芸などの仕事を教え、作ったものを売って運営資金に充てている。俺が掃除していたパン焼き窯の煙突もそのためのものだ。
間借りさせてくれている上、文盲の俺に読み書きを教えてくれているだけでもありがたいのに、賃金を多くもらっては申し訳ない。
「いいのいいの。いつも力仕事とか手伝ってもらってるし。これ、ヅギがニカノルに用意したお金だから」
「……分かりました。ありがとうございます」
素直に受け取っておくことにした。煙突掃除夫という仕事がどのようなものか分かっているからか、シュリーさんたちは何かと俺を気にかけてくれている。好きでなったわけでもないし、いずれ辞めたい仕事ではあるが、今はできることを頑張るり恩を返していこう。
硬貨を懐へ押し込みつつ、使い道を考える。シュリーさんの言うように美味いものでも食べてくるか、それとも本でも買おうかなどと思っていると、後ろから落ち葉を踏む音が聞こえた。
「ニカノル」
呼びかけられて振り向くと、顔見知りの男が立っていた。近所に住んでいる仕立屋の旦那で、俺より五歳年上だ。やたらと印象に残る顔をしている。目つきが鋭くいかにも『切れ者』という風格で、美形と言っても差し支えないだろう。顔の右半面を覆う痣さえなければ。
「ああ、オーギュさん」
「海へ行くが、一緒にどうだ?」
ぶっきらぼうに言い、彼は右手に持つ釣り竿を掲げた。魚籠も持っている。
「いいですね! 道具を取ってきます」
今日はもう仕事の予定もない。釣った魚をその場で焼いて昼飯にして、仕事代は本を買うのに使おう。少しは字が読
[3]
次へ
ページ移動[1
2 3 4 5 6]
[7]
TOP [9]
目次[0]
投票 [*]
感想[#]
メール登録