第四話・そういうわけで俺にもいろいろあった

「馬防柵が突破された!」
「く、来るな! 来るなぁぁぁ!」
「隊列を崩すな! 間断なく射かけろ!」

 

 ああくそっ。最悪だ。ちょっと腕がいいからってこんな戦場に来るんじゃなかった。
 赤い目の魔物どもが柵をぶち壊し、陣地になだれ込んできやがる。何て数だ、こいつらはレスカティエ軍か。つまりこの魔物の大半がレスカティエ人の成れの果てってことかよ。魔物の軍隊ってのは女の声だらけで頭がおかしくなりそうだ。同時に殺意が沸いてきた。どうしてこう、女の声って奴は耳障りなんだ。

 俺は荷車の影に隠れ、仲間達が蹂躙されていく様子を見ていた。自分でもぞっとするくらい冷めた目でだ。矢を射ようとした姿勢のまま固まり、薙ぎ倒されていく奴らもいる。魔物の美しい姿のせいで攻撃できなくなるのは珍しくないって話だが、まあ気持ちは分かる。分かるが、俺はクロスボウに矢をつがえた。ハンドルで弦を引くタイプの強力な代物で、祝福を受けた鏃の力で魔物の鎧も貫通できる……らしい。
 こいつを撃つだけ撃ったらさっさと逃げよう。魔王軍の要塞攻略だから報酬も良いだろうし、もし手柄を立てれば出世できると思って志願したんだが、予想と違いすぎる。出征前に前金はなく、効くか怪しい魔除けのペンダントが配られただけだった。俺は即座に売っぱらって飲み代にしちまったが、今身につけてる奴らにもご利益はなさそうだ。
 こんなときにヅギがいればな。あの化け物と一緒なら逃げるのも簡単だろうが、奴のいる傭兵部隊は別のところで囮やってるらしい。要塞を守ってる魔王軍は囮に食いついたらしいが、俺たち本隊にはレスカティエからの増援が奇襲してきたと……どうにもならねぇな、こりゃ。

「さて……やるか」

 つがえたクロスボウを手に、荷車の影から少しだけ顔を出す。もう味方は総崩れ、馬に乗ってスタコラ逃げる将軍の背中に小隊長が罵声を浴びせている。あの腰抜け司令官を射抜いてやろうか本気で考えた。
 だがもっとでかい的があった。半人半馬の魔物……ケンタウロスの類いだ。黒毛の下半身に対し、上半身は白い肌が露出していて目立つ。手にランスを握り猛突進の最中、狙いはあのクソ将軍のようだ。
 ここで少しでも魔物を倒して実績を作りゃ、別の所で高値で雇ってもらえるかもしれねぇ。奴の赤い目は獲物だけを見つめているし、意識が一点に集中している今こそ狙うチャンスだ。

「当たってくれよ……」

 心は落ち着いたもんだった。風向き、相手の速度、重力による矢の落下を瞬時に計算し、素早く狙いを定める。
 静かに引き金を引き、弓の弦音が耳に響く。次の瞬間、三つのことが同時に起きた。

 魔物の持つランスが将軍の背を貫き、
 俺の矢が魔物の左肩に命中し、
 魔物の赤い目が俺を睨んだ。

「くそっ!」

 仕留め損なった上にこっちの位置がバレた。人間なら手綱を手放して落馬したかもしれねぇが、下半身自体が馬じゃ無理だ。
 次の矢をつがえる余裕もねぇ。切り替えの早い俺は重いクロスボウを迷わず捨てた。背を向けて全力で逃げ出す。だが俺は普通の人間、足は二本だし魔法が使えるわけでもねぇ。たちまち背後から蹄の音が迫り、脳裏に魔物の瞳がちらつく。
 背を向けていてもその気配は伝わってくる。ランスの鋭い穂先が今にも突き刺さってきそうだ。畜生め、あの将軍と同じ死に方なんてごめんだ。

 俺は振り向かずにひたすら走った。勝てる相手じゃねぇし、一瞬でも逃げる以外のことに気を向けたら死ぬ。俺の闘争本能ならぬ逃走本能がそう言っている。というかそういうバカなこと考えている間にも追いつかれちまった。

 すぐ後ろに蹄の音が……!
 やられる……!


 終わっちまう、俺の一生が……ショボい人生のままで……!


「クソッタラァァァァ!」

 腹の底から奇声を張り上げた瞬間、俺は袖に仕込んだ隠しナイフを無意識のうちに引き抜いていた。細く短めの刃が光る。振り向き様にブレードグリップで投擲。昔奇術師の助手をしていた頃に習った技だ。
 魔物は首を横へ傾け、俺のナイフをあっさり避ける。だがその拍子に、奴のランスの穂先が俺から微妙にずれた。

 自分でも何だか分からないような雄叫びを上げ、紙一重で切っ先を避ける。
 身体が勝手に動いた。
 ランスを右手で掴み、そのまま抱きつくようにして抱え込む。身体に衝撃が伝わったが、すぐに何の抵抗もなくなった。

 続いて感じたのは地面に叩き付けられた衝撃。土の上を転げ回るハメになった。
 荒く息を吐いて呼吸を整え……顔を上げると、魔物と目が合った。見つめ合っていると狂いそうな赤い瞳が、信じられない物を見るような表情をしてやがる。愕然とした様子で、ただ俺をじっと見ていた。

「あ……!」

 俺はようやく、奴のランスが自分の腕の中にあることに気づいた。
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