朝の市場というのはどこでも活気がある。輸入品なら西地区の港で買うべきだが、この町で作られた農産物なら南地区の直売所を尋ねた方がいい。この町はいわゆる緑明魔界のため、太陽の下で様々な農作物が育つのだ。領主がヴァンパイアでありながらもこのような緑明魔界になることは珍しいが、あの領主にはこの方が似合っている。
僕とミュリエルはカクテル用の果物を買うため、果樹園を訪れていた。毎朝テントが立ち並び、新鮮な収穫物が売られている。この町の木は大抵ドリアードが宿っており品質は素晴らしいが、うっかり果樹園へ踏み込むと亭主との営みを邪魔してしまうため注意が必要だ。
「わぁ、くだものがいっぱい!」
色とりどりの果実を見てミュリエルは目を輝かせた。カクテルだけでなくおつまみ用の果物も買うので、料理担当の彼女にも物を見てもらう。
この町は僕らの故郷にどこか似ている。人間と魔物、古い物と新しい物が混ざり合い、時を刻んでいる。そしてかつての僕らと同じような、子供達の笑い声が響く。そこをミュリエルと二人で歩いているうちに、心が子供の頃へ戻っていくように思えた。ガキ大将の呼び声に向かって、ミュリエルに手を引かれながら駆けていたあの頃へ。
だが隣を見てみると、そこにいるのは僕より背の低い『お姉ちゃん』、そして僕は彼女を『見下ろして』いる。すでに刻まれた時は後戻りできない。今は今のこの瞬間を、ミュリエルと共にいる時間を楽しむしかないのだ。
「このリンゴ買って、あとは……」
楽しそうに見ながらも良い物をしっかり選んでいる辺り、料理学校で真面目に学んできたことが分かる。バーではなく料理店で働けるくらいだ。これからできるだけミュリエルが腕を振るえるようにしてあげたい。
そんな彼女の傍らで僕も材料を吟味する。おつまみはミュリエルに任せるとして、カクテル用の果物を確保しなくてはならない。そして何よりも必要なのはライムだ。今夜作るカクテルには必須の材料なので、できるだけ良い物を選ばなくては。
「そこのおじょうさんって、ベッカーさんのいもうとさんですか〜?」
店番をしていたホブゴブリンの少女が、間延びした声で尋ねてくる。果樹園で働くゴブリンたちのリーダーだ。僕とミュリエルに血の繋がりがないことは見れば分かるだろうが、魔物たちの場合血縁関係でなくても「妹」と言ったりする。
「幼馴染みでね。彼女の方が年上なんだ」
「へぇ〜。すごいですね〜」
意味を本当に理解しているのだろうか。ホブゴブリンらしいのんきな態度に、僕も苦笑せざるを得ない。
するとミュリエルがトコトコと歩み寄ってきて、僕の腕に抱きついてきた。ワンピースの柔らかな肌触りとぬくもりを感じる。どうしても今朝の快楽を思い出してしまうが今は我慢だ。
「おねえちゃんってだけじゃなくて、いまはコイビトなんだよ!」
「わぁ〜、おめでとうございます〜!」
朗らかな笑顔で祝福され、嬉しいと同時に少し気恥ずかしい。するとホブゴブリンの少女は腰に着けたポーチを開け、中をまさぐった。
「え〜と、かっぷるで来ていただいたひとには〜、おみやげがありまして〜」
そう言って彼女が取り出したのは、細切れの果物が詰められた小さな瓶だった。中身はシロップ漬けになっているようで、黄金色に光り輝いている。瓶のフタには「試供品」と書かれており、果樹園の新作のようだ。
「とってもあまくておいしいので〜、食べてみてくださいね〜」
「わあ、ありがとう!」
ミュリエルが目を輝かせて受け取るのを見ると、やっぱりこういう所は子供のままなのだと思える。子供だったりしっかり者だったりする、大事な『お姉ちゃん』だ。
だが彼女の背中を追いかけていた頃から、僕にはいつも一つのわだかまりがあった。それは成長するに従って大きくなり、いつしか消えた。それでもあの気持ちが今の僕に繋がっているのは間違いない。いろいろなお客様を見て、失敗もして、悩んで……ようやく答えを出せた気がする。今夜はそれを見せるときだ。
「……お会計をお願いします」
「あ〜い、まいどあり〜」
硬貨を手渡しながら、僕は改めて背筋を伸ばした。
………
……
…
「この町って、ホントにいろいろなものがあるね」
一通り市場を回って帰路についたとき、ミュリエルの口から出た感想はそれだった。確かにルージュ・シティは交易も生産も盛んで、町中を探せば大抵の物は手に入る。さらに町を五つのブロックに分け、農業の盛んな南地区、港湾区である西地区ではこうした青空市場が開かれるのだ。荷物運搬の馬車などもあるため多量の買い物もしやすく、流通関係が細かな箇所まで整備されている。
だが領主に言わせ
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