何ということでしょう。大嫌いな昼間だというのに、私は今最高に幸せな気分でした。
「どこか痒いところはない?」
「へいき、です……」
リズミカルにハサミが鳴り、私の髪を少しずつ切り落としていきます。レヴォンさんは私のボサボサ頭を、夢の中とは似つかないだらけた髪を丁寧に撫でながら散髪していました。彼の手の感触だけでうっとりしてしまいます。その手つきの一つ一つに、レヴォンさんの優しさがこもっているかのよう。目がとろんてなっちゃいそう……。
目を覚まして慌てる私に、レヴォンさんは優しく声をかけてくれました。私はとにかく頭を下げてひたすら謝り、謝って謝って謝りまくりました。主に窓ガラスのことを。
ですが彼は一言も咎めず、それどころか私の髪を切ってくれると言ったのです。そして定休日だというのに、この朝からお店で散髪を始めてくれたのです。信じられないことばかりで、嬉しすぎて……何の言葉も出てきません。
「やっぱりイリシャちゃん、いい髪してるね」
不意に、思ってもみないことを言われました。
「いい感じに自然のウェーブがある。少し手入れをすれば凄く奇麗な髪になるはずだよ」
「そ、そんな、こと……」
ある訳がない……そう思っていても口が動かなくなってしまいます。無駄に大きい胸の内側で、心臓が激しく脈打っていました。嬉しさと恥ずかしさとその他諸々が入り交じり、軽いパニック状態です。
でもレヴォンさんはそんな情けない私を見ても、笑ったり呆れたりしませんでした。
「昨日、目覚まし時計で起きたときに君を見てさ、思ったんだ。ああ、この子奇麗な髪だなって。あと、自分が嫌いなタイプだなって」
「ぅぅ……」
一番最後の言葉は全くもってその通りでした。この人もあのバーテンダーさんと同じで、いろいろな人を見てきたから分かるのかもしれません。でもそれなら、どうしてこんなにも優しくしてくれるのでしょう。現実の私より可愛い女の子なんて、いくらでも見てきたはずなのに。
「夢の世界で、君は本当に輝いていた。君の髪に包まれて、沢山の君に囲まれて、本当に気持ちよかった」
アソコの毛を剃り合ったのもね、とレヴォンさんは小声で付け足しました。現実で言われると顔から火が出そうです。
「で、でも……本当の、私、こんな……ひゃっ!?」
レヴォンさんは突然、私の背中……下半身の、馬の方の背中に手を起きました。
「ここ、股がってもいいかな? その方が切りやすそうだから」
「は、ハイ!」
レヴォンさんがゆっくりと、私の背によじ上ります。ケンタウロス種は軍馬や競走馬みたいに大きくないとはいえ、当然あぶみなんて着けてないから少し苦労していました。やがて彼の体重が背にかかったとき、体が密着するのを感じました。夢の世界とは違う私の体を、レヴォンさんはそっと撫でてくれています。
「……イリシャちゃん、昼の世界で奇麗になるのは無理だって思ってる?」
「だ、だって私……半分馬だし、胸が大きすぎるし、弱虫だしっ……!」
「イリシャちゃん」
そっと、彼の素敵な手で口を塞がれました。鏡に映るレヴォンさんは優しげな、それでいて力強い眼差しで私を見ています。ああ、この目だ。この目と手が、私の胸を高鳴らせたんだ……初めて彼の姿を見たときを思い出し、私の体がジンと熱くなりました。
「この界隈の仲間……調香師のヒューイーや仕立屋のオーギュとかと、よく話すんだ。完全に魅力のない人に服や香水を作ったり、髪を切ってあげても無駄だって。僕らは石の彫刻を彫っているわけじゃないからね」
まるで突き放すようにレヴォンさんは言います。彼がそんな言い方をするなんて意外だったけど、彼のいう「完全に魅力のない人」に私は含まれていないのだろうという気がしてきました。だって彼がこんなにも丁寧に私の髪を切り、優しく撫でてくれているのですから。
「人間でも魔物でも、その人の魅力を引き出すのが僕らの仕事なんだ。ゼロから一を作ることはできなくても、一を百にすることはできる」
再びチャキ、チャキとハサミが鳴り、髪が花びらのように散っていきました。レヴォンさんは話しながらも手元をじっと見て、作業に集中しています。
彼に見とれつつ、私はウルリケちゃんが正しかったことを確信しました。彼は私の良いところを……自分でも気づかなかったところを見てくれていたのでしょう。
「自分の魅力と、僕の腕を信じてみてよ」
………
……
…
……髪を切られ、眉も少し剃られ、顔を奇麗に洗われて。それはとても幸せな時間で、あっという間のことでした。やがてレヴォンさんが背中から降りて終わりを告げ、目の前にある鏡に私の姿が映りま
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