『たけのこ』というおはなしをご存知ですか。わたしはこの物語を、幼いころから何度も聴いて育ちました。
いつ、どこであった出来事なのかは、わたしにもよくわかりません。話す人によって、どこそこであったとか、ひいおじいちゃんから聞いたとか、いろいろ言うのですが、まあ、それは他の昔話でもよくあることでしょう。
地元の人間ではない?
そうなのですか。私はてっきり、どこでも耳にするものだと思っていたのですけれど……。
よくありますよね。自分は当たり前だと思っていたのに、実は身内じゃないと知らないことだったとか。
そうですね、こんな夜ですし、寝る前の退屈しのぎに。せっかくですからお話いたしましょう。ああ、くつろいだままで結構ですよ。眠たいようでしたら、寝転がっていただいても。
ある男が、ふとした思い付きから竹林の中を散策しに行きました。
ところが家に帰ろうとしたとき、困ったことに戻り道が分からなくなってしまいました。
どっちを向いても似たような景色。途方に暮れていると、むこうに見える太い竹の陰から、赤い浴衣を着た女が、すうっ、と姿を現しました。
まさか誰かがいるなんて思いもしませんでしたから、男はびっくりしてその場にかたまってしまいます。すると女のほうから、しずしずとそばに近寄ってきました。
「こんにちは」
そよ風みたいにやさしい声。背は低く、男の肩にとどくかどうか。髪はおかっぱで、糸目で、小さな口元に微笑みを浮かべて、印象としては……、和人形に似ていたとか。
「もしかして、迷われましたか?」
ちょこんと目の前に立ち、こちらの顔を見上げながら話しかけてきます。おとなしそうな、それでいてあどけない雰囲気。突然話しかけられたにもかかわらず、おもわず気を許してしまうほどでした。
彼女の話によると、この辺りは竹林でもかなり奥の方らしく、今から抜け出ようとしても、その前に日が暮れて余計に迷ってしまうかもしれない、とのことでした。
「わたしの家で、休んでいかれませんか」
こんなところに人が住んでいるのか、と男は一寸驚きましたが、疲れて休みたい気持ちがまさり、それ以上気に留めることはしませんでした。
「こちらです」
浴衣の女がちょっと首をかしげて微笑むと、不意に手を握ってきました。
思わずどきりとする、抜けるように白い手。
「はぐれるといけませんから」
はにかむようにそう言ってきます。
握り返してみると、小さくて、すこしひんやりとしていて、手の甲までやわらかい。いつまでも触れていたくなる手でした。
女はよほどこの場所に慣れているのか、カサカサと竹の葉を踏みながらどんどん進んでゆきます。
半ば現実感を失い、呆けたまま手を引かれてゆくと、奥の方から木造りの家が見えてきました。どうやら女の住まいのようです。
「どうぞ、あがってください」
まるで夢の中へ誘われているかのよう。驚く暇もなく玄関をくぐると、台所を兼ねた土間と、畳の部屋がひとつきり。本当に田舎の小さな家屋といった感じです。
一体どうやってこんな鬱蒼とした場所に家を建てたのか。ここは本当に元から竹林だったのだろうか。そんな疑問が頭をよぎります。
「すぐにご飯にいたしますね」
女がそう言って男を畳に上がらせ、土間に立って何やらごそごそしていたかと思うと、しばらく経たないうちにもう食膳をはこんできました。
ちょっと考えられないほどの手際のよさ。食材はどこから持ってきたのだろうか、などと訝しんでおりました。しかし、お口にあいますか、などと声をかけられると、男は話すことと食べることに気がゆき、心に引っ掛かる違和感もすぐに薄らいでしまいました。
食事の片づけが終わると、あとは寝る以外にすることはありません。しかし……。
部屋は一つしかありません。しかも、女が言うには布団も一式しかないというのです。これには男もうろたえました。流石にまずいのではと。
「長いあいだずっと独りでしたので……、ごめんなさい」
心優しい彼女からすまなさそうにこう言われてしまうと、男のほうも困ってしまいます。自分が畳で寝ると言えば、こちらから招いたのにそんな無体な真似はできない、とむこうも譲りません。
「私と一緒ではお嫌、ですか?」
俯きがちにもれてきたつぶやきは、少し涙ぐんいるようにも聞こえました。
助けてくれた相手を悲しませるなんて、男にはできませんでした。それに、下心がなかったかと言われれば……。
それでも体裁というか、建前というか、男はなるべく布団の端っこに体をよせ、相手から背を向けて寝ることにしました。
「おやすみなさい」
女が一言。あとはたまに風で竹の葉が擦れる音だけ。静かなものです。
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