敗軍之将

後退する、と言うのは簡単だが、実際それを行うのは至難の業だ。
下がる途中でもたつけば、あっと言う間に崩される。
それは、バフォメット自身がよく知っている事でもある。

「押さえを残す余裕は無いのう」

俗に言う殿と言われる後衛の部隊の事だ。
部隊を前進させる時とは違い、部隊を後退させる時に重要なのは士気である。
逃げる、となれば負傷者や戦死者などを後送する事が難しくなる。
一部を置き去りにして逃げる、と言う事は士気に多大な影響を及ぼす。
その為に、一般的に後退作戦は難しいと言われている。
各々自由に後退すれば良いのではないか、と思われるだろうが、
それは崩壊と言われ、秩序を保ち集団で行動する、それが軍隊なのだ。
なので後衛の部隊を任せる指揮官を選ぶ事はとても重要だ。
これには最も優秀な者を充てるのが常識となっている。
殿を任せられる、というのは将にとって最高の評価であると言っても良い。

しかし、バフォメットは悩んでいた。
ただでさえ兵力が少ない、それに加え今までの戦闘での損害を考慮すると。
まともな数を後ろに割ける余裕が無いのだ。

「交互に後退…」

考えていたのは交互後退。
これは、元々遅滞と言う単なる時間稼ぎの為の行動であり、
交互後退も、その遅滞行動の中の一つだ。
部隊を二つに分け、一つずつ定められた陣地に後退しながら敵を防ぐ、と言った戦法である。
しかし、これをやれば撤退と言う当初の目的から完全に逸脱してしまう。
基本的に敵を拘束しつつ下がるので、敵から逃げると言う行動とは根本的に異なる。
更に撤退先が要塞都市なので、二つに分けた部隊の一つを犠牲にしなければ要塞の中に逃げられない。
つまりは却下である。
考えれば考える程、面倒なのだ、撤退戦は。

「お家に帰るまでが戦争なんじゃよ〜」

「妙な事言ってないで働いて下さい」

その様子を目敏く見つけた副官殿が声をかけてきた。
テレーズも、撤退準備に追われている。
バフォメットの周りには、聖騎士団と戦闘を終えた魔王軍騎士団が集まっている。
先程の戦闘での損害は百騎程度に留まった。戦闘可能な者を除けば五十騎程度だ。
流石に精鋭の騎士団は強かった、しかし、そこには肝心の騎士団長が居なかった。
彼女は敵の騎士団長との戦闘で負傷し、後方へ運ばれて行った。
仮に殿の部隊に充てる指揮官は、彼女しか居ないとバフォメットは思っていた。
しかし、それも今では叶わぬ事となった。

「前線の副団長は?」

「あいつは駄目じゃ、あの攻撃的な指揮は撤退に向かん」

騎士団の半数を率いて前線で奮闘中の副団長ではあったが、バフォメットは適任では無いと考える。

「団長が無事だったらのう、その意味では、大損害じゃよ」

個人の武勇に加え、攻守に優れた指揮能力。
その両方を兼ね備えた人物は得がたいものだ。
最も、その団長も一線から退く事を決意したのだが…
話を元に戻そう。

「騎士団は前線に行き副長に合流しろ」

「それじゃあ主を守る者が居なくなりますよ」

「どの道大勢こっちに向かってくる、一時的に丸裸になっても良いんじゃ」

撤退する部隊の指揮も必要なのだ。
なおもテレーズは不満そうではあったが、ここは上司の権限で押し切る。
流石に上司の命であれば、逆らう術は無い。

「副長に無理はするな、と伝えるんじゃぞ」

「やはり心配ですか…?」

「最悪な事態は避けたいもんじゃ」

身を捨てて味方の退路を切り開く、そういう展開こそ一番恐れる事である。
攻撃的な副長に必要なものは自制である。

「無鉄砲な奴じゃからな、本当に…」

「まだ独り身ですしね、彼女」

「ほう、初耳じゃ」

「ご存知ありませんでした?騎士団の売れ残r…」

「テレーズ様、それは!」

騎士団の面々が、テレーズの言葉を遮った。
どうやら騎士団内では禁句であったようだ。

「…マスコットです」

「マスコット?」

「ええ、騎士団のマスコットと呼ばれてますから、彼女」

「売れ残りのマスコットかえ?」

「司令官殿、それは!」

「なんじゃいお前らはさっきから」

よくわからないが、売れ残りと言う言葉は禁句であるようだ。

「その言葉、副長殿の前では決して言ってはなりません!」

「騎士団内の団結が!」

「副団長の嫉妬が!」

「新婚生活の危機が!」

「ううん?」

最後のほうがよくわからなかったが、その真剣さだけは伝わった。

「わかった、わかったから!さっさと行け!」

話を聞いているときりが無い、話を切り上げ騎士団を前線へと向かわせる。
とにかく、副長を自制させなくては。
ちらほらと、前線から戻ってくる者たちの姿が見えた。
負傷兵や、それを運ぶ者達である。
助けられる者は出来るだけ助ける、そう判断したのだろう。
だがそれは撤退
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