第一話 「店主と弟子と魔法堂」

「楽しんでね〜」
 若い女性の声に続き、扉に付けられた鐘の音が聞こえた。奥の部屋で商品の整理をしていた少年は手を止め、カウンターにいる店主に声をかける。
「お客さんですか?」
 問いつつも、少年は彼女の言葉からお客が来ていたことと、商品が売れたことを推測する。
「そっ、お客さん」
 返ってきた声が弾んでいたことから、少年は自分の推測が正しかったことを知る。彼の師匠であり、この「夜色魔法堂」の店主である女性「エルメリア」は、人間の商人を客として認識しない。加えて、主な商品が淫らな行為を楽しむためのアイテムであることと彼女の台詞から、相手は十中八九魔物であると予測出来る。そして、相手のお客が魔物であるならば、金銭取引よりは物々交換の可能性が高いことを彼は知っている。
 交換したであろう物を確認すべく、彼は表の店内への扉を開ける。すると、ほのかに甘い香りが彼の鼻をくすぐった。
「これは…蜜ですか?」
 裏の倉庫から出た彼は、受け付け用の机に置かれた壺を見るまでもなく聞いた。裏から表へ回り込み見ると、壺には蓋があるどころか目張りで封が為されている。それでも店中に広るだけの甘い香りを、壺は放っているということだろう。
「そう。それも熟成済み♪」
 エルメリアは微笑みながら壺に手を置く。彼の言う蜜とは、巨大な花弁に包まれた美しい女性の姿を持つ「アルラウネ」という植物型の魔物が作る蜜のことで、甘い香りのするアルラウネの蜜には強力な媚薬や精力増強の効果があるのだが、「ハニービー」という昆虫型の魔物によって熟成されることにより効果や香りが高まるのである。
 目張りに効果を抑える魔術を付与しているのか、甘い香りはするものの特段心惑わされる感覚はない。というのも、本来この蜜は男を惑わし誘うためのものであり、通常ならばその匂いを嗅いだだけで発情を促す効果があるのだ。
 彼はエルメリアによって魔物の放つ誘惑の魔力や魔法に対抗するための魔術がかけられているため、通常の人間に比べると極めて高い抵抗力を持つ。しかし、それはあくまでも抵抗であり、通常無効化させるには至らない。弱い魔力なら無効化させることもできるだろうが、ハニービーによって熟成されたアルラウネの蜜ともなれば効果は絶大なはずである。それでも彼に効果が表れないのは、やはり壺や目張りの方に効果を抑える魔術が用いられているのだろう。
 レノークスの街は人間と魔物が共存するようになって、長いとは言えないがそれなりの歴史がある。とはいえ、魔物がわざわざ誘惑の効果を打ち消す魔術を開発し用いることはまずない。おそらく壺に用いられている魔術はエルメリアによるものであり、その腕は素晴らしいの一言に尽きる。少なくとも彼は、エルメリア以上の人間の魔術師を知らない。
「カイ君、これ箱に入れて置いといて」
 エルメリアは彼にそう言うと、階段を昇って二階へ行った。
 夜色魔法堂は一階に店や倉庫、二階に居間と炊事場やトイレ、三階に風呂場と寝室がある。驚くべきは個人規模の建物に風呂があり、しかも一般的な蒸し風呂ではなく浴槽であることだ。エルメリア曰く「お風呂と寝室が離れてるなんて有り得ない」とのことだが、彼は純粋に利便性から逆に有り得ないとの感想を持った。しかし彼女はどういう魔術を使っているのか、ほぼ即座に浴槽へ湯を張るのである。当初その様を見た時、彼は阿呆のように口を開けたまま唖然とし、彼女に笑われた。
 時間は昼をいくらか前に過ぎたくらいなので小腹が空いたのだろうと思い、何を言っても無駄だと理解している彼は壺を手にとって裏の倉庫へと引き返す。エルメリアはこの店の店主ではあるが商人という訳ではなく、商売そのものに力を入れている訳でもない。そのため不定期に様々な理由を付けて店を開けなかったりする彼女である。小腹を満たすために店から離れる程度ならばむしろ歓迎と言えるのだ。何故なら普段は店を開けていても少し客が来ないだけで「暇だ」と言って店を出て行くくらいなのだから。そんな彼女に弟子入りしたのだから当然の苦労と彼は割り切っている。

 倉庫にある机の上に適当な木材を置き、その上に蜜の入った壺を置く。そうして彼は意識を集中させる。
 彼がエルメリアに弟子入りした理由は、その魔術の腕である。彼は元々この街の人間ではなく、「凄腕の魔術師がいる」という噂を耳にしてレノークスへ訪れた。そうしてエルメリアに出会い、外見年齢と性別に驚き、しかしその魔術の腕を目の当たりにして一も二もなく弟子入りしたのである。
 彼は元々レノークスの人間ではないが、魔術師としての研究や知識から魔物の習性や生態などをある程度知っていることもあって、レノークスの街を(驚きこそすれ)比較的簡単に受け入れた。人間が用いる魔術の用途の一つとして「魔物を討つ」というものがあるこ
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