姉さま

 男は、思い悩んでいた。自分の行動が、本当に正しかったかどうかが気になってしまったのだ。もしかしたら、自分はとんでもない行動をとったのではないか、と。

 シグレを捕まえたのは、上層部の命令である。彼のかつての犯罪行為がはっきりしている以上、どうしようもない事である。国際的な指名手配犯を捕まえたのだから、むしろ誇って良い筈である。

 しかし、どうしても気になるのだ。はるばるイェルスまでやってきた聖騎士に引き立てられていく時のシグレの表情が、どうしても頭から消えないのだ。その日以来、男は夢にまでシグレが出てくるのを感じていた。

『――死ぬ事もまた、素晴らしい』

 夢の中でシグレはそう言って、寂しそうに笑うのだ。あまりにも儚く、脆弱な様子で、とても十数人の聖騎士を斬った男には見えなかった。その彼が、断頭台へと消えていく……。

「どうしたの? またうなされてたわよ」

 寝苦しさに目覚めると、隣で愛しい妻が顔を覗き込んでくる。男は妻に対して申し訳なさを感じる。仕事でのもやもやを持ち込まないでおこうと思うのだが、最近はあまり気分が乗らなくてセックスの回数も減り、心配ばかりさせている。今日も、妻とは七回しかセックスをしていなかった。

「ねえ、何か悩みでもあるの?」

 潤んだ瞳で見つめ、心から心配そうに問いかけてくる。その真摯な姿に、男は不意に妻に縋りつきたくなるのを感じた。いつもは仕事の悩みなど言わないのだが、今日は珍しく妻に話してみる気になった。

「実は……」

 少し迷うが、結局自分の抱えている悩みを打ち明ける男。その間も、妻は男を抱きしめながらじっと耳を傾ける。彼女の白い翼も、男を優しく労わるようにフワッと包む。

 余計な口を挟まず、ただ包み込んでくれる妻の行動が、男にはありがたかった。だから、男は思っている事を全て、ありのままに話してしまった。



「そっか、辛かったよね……」

 女は、男をいっそう強く抱きしめる。男は、妻のその行動で、少し気が楽になったのを感じた。今までは、一人で全てを溜め込んでいたのである。それを妻が一緒に共有してくれるのが、男には有り難かった。

 それでも、まだ完全にすっきりした訳ではない。シグレには、今の男のように苦しみを共有してくれる女が居ないのである。いや、共有してくれる女は本当は居るのだが、シグレ自身はそれに気付いていなかったのである。そんな状態でマリスに引き立てられていったのだ。過酷な尋問、もとい拷問に耐えられるのだろうか。

 やはり、悪い事をしたと男は思った。人間不信のまま、シグレを死なせてしまって良いのだろうか。『生きる事は、素晴らしい事だ』と彼に言っておきながら、結局は死地に追いやってしまった。

「大丈夫よ。貴方はもう苦しまなくていいわ」
「……だが、しかし」
「その件、私も気になってたのよね。後は、私が何とかしてあげるわ」

 えっ、と妻の言葉にあっけに取られる男。そんな男に、女は微笑みかけた。

「私に任せて。あの子、何とかして助け出してあげるわ」

 実は、シグレの事はイェルス中で話題になっていたのだ。教会側に追われた一級犯罪者が潜り込み、送還されるという前代未聞の事件が発生したのだ。噂にならない訳がない。そして同時に、シグレと一緒に居たルカの事も話題になっていた。人々は、ルカに同情の眼差しをよせた。あまりにも可憐で甲斐甲斐しくシグレに尽くそうとする姿を見ていたので、彼女の悲しみにくれる姿は人々の心を打ったのだ。

 そして、女はルカの正体に気付いていた。ドッペルゲンガーは、失恋してどん底にいる者を救う為に生まれた魔物。シグレも、過去に相当辛い目にあったのだろう。おそらく、それが犯罪者として故郷から追われる原因になった事は容易に想像がつく。

 リリムは、人間の男と魔物娘の仲を取り持つ事を使命とする魔物。そのリリムの一人として、女は今回の件を見逃せないと思ったのだ。


*****


「――という訳でデルエラ姉さま、お願い出来ませんか?」

 そして翌日、女はさっそく転移魔法を使ってデルエラという女の元へ駆け込んだ。彼女には、この随分歳の離れた姉しか頼るものが無かった。夫には私に任せろと言ったものの、やはり彼女一人ではシグレ奪還は厳しいと思ったのだ。自分には、デルエラ姉さま程の力は無いし、リリム姉妹には珍しく争い事は苦手なのだ。絶対に他人に負けない自身があるのは、夫への愛情だけである。

 一方、このデルエラ姉さまは、あのレスカティエを滅ぼした程の魔物である。マリスを襲撃してシグレを奪還する事くらいは訳もなさそうであった。それに、仲を永遠に引き離されそうになっている魔物娘がいるのである。デルエラ姉さまにとっては、マリスを攻める絶好の理由がある訳である。


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