「いいですか」
そう言ったのは龍姫姉だった。
寂しげで悲しげで、とてもつらそうな表情を浮かべている。
「いいですか、ゆうた」
龍姫姉はもう一度繰り返して言った。
「ここから出て外へ行けば私達のような存在はいません。全くと言っていいほどです」
「…?」
その言葉の意味がわからない。
その表情の意味もわからない。
どうしてそこまで悲しげでオレの顔を覗き込んで言うのか、どうしてオレの頭に撫でるわけでもないのに手を乗せているのか。
「ここは外と全然違うといってもいいでしょう。私達のように頭から角や耳を生やした女性も、下半身が足でないものも、提灯や猫に化けるものもいません」
「そうなの?」
「ええ、そうです」
そこ龍姫姉は言葉を切った。
その先を言いたくないからか、迷っているのか、躊躇っているからか。
しばらくは何も言おうとしなかった。
それでも結局は口を開く。
苦々しげに、重々しくその言葉を言った。
「―だから、忘れなさい」
「…え?」
「ここであったことは忘れなさい」
龍姫姉の下半身が彼女の体ごと巻きついた。
逃がさないようにというつもりではないだろう、きっと離さないために。
手放したくないと我侭を言うように。
口にしていることと全く逆のことを思って、だろう。
「何もかも、忘れなさい。ここであったことは外ではありえないこと。私達との関わりはあってはいけないこと。だから…忘れなさい」
「なんで…?」
「覚えていたら…きっと大変なことになるからです」
そこから先並べられた言葉の内容は詳しく覚えていない。
ただそれでどういいたかったのか、どう伝えたかったのかは今だからこそわかる。
こんな世界で神様なんて存在は非科学的なもの。
幽霊と同じ、言葉にあっても実在しないもの。
名前はあっても目にはできない、そこにいるという証拠はない。
そんな世の中でここでの生活はいい影響にならない。
人の姿をしていない彼女達との暮らしはこれから先の生活で害となるかもしれない。
オレと龍姫姉達。
人間と人外。
人と神。
―それを区別するためにはオレは幼すぎたのだから。
だから、だからだろう。
龍姫姉がこの手を取ったのは。
オレに向かってそう言ったのは。
「やだよっ!」
オレは大声で叫んでいた。
子供ながらに我侭で、何もわかっていなくて、龍姫姉がどれほどまで迷い、下した決断かなんて知らずにただ嫌がっていた。
「ボクはいやだ!そんなわすれるなんていうのはいやだ!みんなといっしょにいたのをわすれたくないっ!」
「…ゆうた」
「たつきおねえちゃんといっしょにやくそくしたことをわすれたくないっ!」
「…っ」
「ぜったいに、おぼえてるもんっ!」
そんなオレの言葉に龍姫姉は顔を伏せた。
紫色の綺麗な長い髪が垂れて表情を隠す。
どのような顔をしているのかわからないが一つ二つ、雫が垂れたような気がした。
「…まったく」
そう言いつつも彼女は顔を上げてくれない。
それでも片手でオレの体を抱きしめる。
巻き疲れているこの状態では既に隙間さえもないのだがそれでもきつく抱き寄せる。
「ゆうたは…我侭ですね」
「わがままでいいもんっ!」
「ふふ、我侭で、甘えん坊で…それでも真っ直ぐで…やんちゃな子…」
そうして龍姫姉は囁いた。
それが最後の言葉。
それが終わりの言葉。
「ゆうた―」
そうっと、小さく、それでもハッキリと。
「―大好きですよ」
そこで記憶が途切れる。
それがあの頃の終わり。
オレが今まで覚えてなかった理由で、思い出せなかった理由。
何をどうやったのかはわからない。
それでも龍姫姉はオレのためにあのときのことを忘れさせた。
それは苦渋の決断で、苦難の決意。
それがオレのためだから。
だからこそ忘れさせたんだ。
次に目を開けたところで目の前にいたのは人間の女性である先生の姿だった。
「貴方が黒崎ゆうた君ですか?」
そして何もなかったかのように彼女はそう言ったのだった。
「本当はずっと忘れたままにさておくはずだったのですけどね」
龍姫姉はそう言いながらオレの体を優しく抱きしめる。
それはあの時と同じ感覚で、懐かしき感触。
人間ではない神様の姿。
大きい手、鱗の生えた腕、角の生えた頭、蛇のように長い体。
どれもがあの時と同じ、まったく変わらないもの。
安心できるこの温もりも、包まれるような安らぎも、満たしてくれる充足感も同じ。
間違いなく龍姫姉のもの。
それらを感じながらもオレは疑問に思ったことを聞く。
「ずっと?」
「ええ、ずっと。もう二度と思い出さないようにと…そう願って術をかけたのですけどね…」
術。
それがオレの記憶を縛っていたものだろう。
思い出さないようにずっと奥深くまで沈めておき、そのまま朽ち果てて墓場まで持っていくはずだったのだろう
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