…確かに私は寝る前に魔法をこのベッドにかけた覚えがある。
防音の魔法、ただそれだけだった。
あの色ボケ王…我が親友である魔王の代わりに大量の仕事を押し付けられて疲労困憊だった私は誰にも邪魔されたくないために魔法を使って食事も取らずに長く眠ろうとしていた。
―ただそれだけだったはずだ。
それなのに…。
…ここはどこなのだろうね。
見渡す限り木。
上には視界を覆い尽くすほどの葉の天井。
その隙間から見えるのは夜空である。
どうやらここは森の中だろうか?
私は室内で寝たはずなのに。
それが、見知らぬ土地である。
…もしかして使う魔法を誤ってしまったかな?
防音ではなくて転移のほうを使ってしまったかな?
これはとんだ失態だ。
この馬鹿でかいベッドにしかかけていなかったからだろう、この場にあるのはベッドのみ。
…戻るにしてもどうやら長く眠りすぎていたらしく空腹が酷い。
仕事を終えて食事もせずに眠りに付いたからだろう、魔力も戻れるだけ十分にない。
ということは…とりあえず…。
「血を、探そうか」
魔力の源となるものを。
生きるために必要な食料を求めよう。
「…ふぅ」
あの森の中を抜けてようやく町らしいところに出て、私は一息ついた。
空を飛び、何か石のような硬いものでできている柱の上に着地して周りを見渡す。
何なのだろうね、ここは。
どこを見ても見たことのない建物ばかりじゃないか。
灰色の壁の家があれば向こうにはカラフルにオレンジ色の建物まである。
それに向こうにいたっては…長方形の形だ。
窓らしきものが規則的に並んだ建物。
周りの家に比べて明らかに大きい。
それに夜だというのにどの建物も明かりがついたままのものがある。
まだ起きているというのだろうか?
おかげで月や星の明かりがなくても十分に明るい。
もっとも私はヴァンパイア、どうせ暗闇だろうと見えるものには困りはしないのだけれど。
今足場にしているこの柱だってそうだ。
黒い綱のようなものがそう遠くない同じ形の柱に繋がっている。
これは何のためにあるのだろうね。
皆目見当も付かないよ。
色々と興味深いものはあるもののまずは人を探そうか。
なるべく健康体、それから血を分けてくれそうな者。
人間から血を請うなんて真似は普通のヴァンパイアならしないだろう。
しかし、人間は下等であるなんて古びた考えは私にはない。
というか随分前に捨ててしまった。
そんなものがあっても良い人間にはめぐり合えそうにもないと悟っているから。
私自身無理やり血を吸うなんて真似はしない。
しようと思えばできなくはないだろうが…どうも体が拒絶してしまう。
それでも。
今はそのようなことを言っていられる余裕がない。
あまりにも空腹が酷いのだ。
もしかしたらあまりの空腹に襲ってしまう…というのもありえないかもしれない。
これは困った。早く事を済まさないといけない。
そう思いながらも夜道に視線を移す。
これもまた見たことのない地面だ。
私の治める街はこんな色の地面はしてない。
石畳とは随分違っている。
場所によっては何か白いもので字が描かれているのだが…なんと書いてあるのだろう?
不思議な字だ、見たことがない。
長く生きてきた私でも見たことのない風景。
記憶にない町並みからして…。
…どうやら私は別の世界にでも来てしまったのかな?
それでも人間がいるのは幸いだ。
見渡せばこんな時間でも一人くらいいてもいい―
「―おや」
いた。
一人、闇夜に溶け込みそうな色を纏う人間がいた。
見たところ歳も若い。
その上どこも怪我や病気を患っているようには見えない。
さらに、嬉しいことに男性。
これは思いのほか運が良いい。
彼に血を分けてもらうことにしよう。
できる限り穏便に。それで、平和的に…。
そう思い立った私はすぐさま柱の上から彼の元へと飛び立った。
本来なら距離をおいて着地すべきだった。
空から降ってくる人間を、誰が人間と思うだろうか。
空を飛ぶことのできるものなどいはしない。
それはどこの世界だろうと同じこと。
例外としてあげるのならば…それなりの魔術師というところだろうが今はそんなことは関係ない。
私は今彼の前に着地してしまった。
空から、まるで降ってくるように。
そんな私を目の前にして彼は目を見開いている。
ああ、しまった。
これは驚かせてしまった。
人間のように振舞ってできるだけ彼に不信感なんて抱かせないようにするはずだったのに。
それでも、仕方ないとしかいえない。
なぜなら今の私はそれどころではないのだ。
空腹が、飢えが、どうしようもないくらいなのだから。
ここまで血に餓えたことなんてそうはなかったというぐらいに。
だから、仕方ない。
私は着地した態勢から立ち上がり彼を見た。
彼。
まごうことなき人間である。
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