ご主人様は…オレ

「はい、それじゃあここで起きたことがわかる人、いるかな?」

よく通る声が教室の奥まで届く。皆、その声に聞き入りながら彼女の姿を見て―否、見とれていた。
まるで蕾が花を開かせたような、元々あった素質が開花したような雰囲気はかつての危うさなんてない。ふと目で追いかけてしまう色気が溢れ、視線を離せぬ愛らしさに心を奪われる。落着きある振る舞いが、自信に溢れた声色が誰からも不安を取り除き不思議な安心を与えてくれる。
しかし、期待は止むことなく。
されど、その時を皆望んでいる。

「わかる人は手を上げて答えてね。間違っても、その分頭に残りやすくもなるからね」

にっこり笑いつつチョークを一度置き、指示棒へと握りなおす。その指先からも言葉にできない自信が漂っているのがわかる。
まるで別人のような有様だった。だが、結局彼女の根本は変わらない。

「―そうだね。だからこのとき―あれ?あれ?」

生徒の発言から黒板へと続きを書こうとして手を止める。いくら表面を擦ったところで何もつかないことを不審に思い、視線を向けてようやく気づく。
握っていたのはチョークではなく指示棒のままであったということに。

「ももちん、それ指示棒だよ〜」
「ももちんったら相変わらずなんだから」
「いいぞー!ももちん!」

そんないつも通りの姿が愛おしくて誰もかれもが安堵する。いつもと変わらぬ御子柴先生らしさに。
だが、同時に皆感心していた。
以前よりも格段に良くなった授業中の態度。ドジは少なくなりつつ、心配することも徐々に減ってきた。しかし、それで寂しく思う者はいない。むしろ、その成長ぶりに皆惑わされていた。
愛らしさには磨きがかかり、女の色気が滲み出す。異性は当然だが、同性すらも見惚れてしまう。魔性の女ではないはずなのに垣間見える妖艶さは疑いようのないものだった。



理由を知っているのは―オレ一人だけ。



その事実は優越感を生み出すが同時に取り返しのつかない後悔が板挟みをしてくる。原因を作っておきながら打つ手はなく、何をすべきかわからない。
おかげで授業内容なんて頭に入ってきやしない。暴君に相談したところで返答は手厳しい暴力だろう。
頭を抱えたいのを堪えながら昼休みのチャイムを聞く。号令で頭を下げたあと、気分転換にと思ったオレはトイレへと歩み出した。


―否、逃げ出した。



「…どうしよう」

疲れたようにため息をつきながら瞼を閉じて項垂れた。
悪いことはない、はずなのに。
授業中に向けられた視線の奥、瞳に隠した妖しい光に気づいたのは何人いたことだろうか。
スカートで隠した秘密が期待に揺れ動いていたのをわかったのは誰がいただろうか。
それが何を意味しているのか、理解できるのはきっとオレとあやかのみ。
どう考えても悪いことでしかない。そんな覆せぬ事実に大きくため息をつき、鏡に映る疲れた顔を見ていたその時だった。

「あ、『黒崎君』見っけ」
「はいぃっ!?」

あってはならない場所での御子柴先生の声。見ればトイレの入り口からこちらを興味深く覗き込む御子柴先生がいた。

「何やってるんですか先生!!」
「大丈夫だよ、近くに誰もいないから」
「いや、ここ男子トイレ!」

慌てるオレなど気にすることなくずかずかとトイレへ入ってくる。慌てながら手を洗うとハンカチを差し出された。受け取り手を拭くとにへらと笑って頭を突き出してくる。
わかってる。褒めてほしいということを。
ただ、どうしてなのか。その笑みは純粋でありながら―妖しさが垣間見える。

褒めてもらいたい―だけに思えない。

頑張りを認めてほしい―で終わらない。

これがただの勘違いであったら良かったが、流石のオレでもこれがおかしいことには気づく。
犬の嗅覚で容易く居場所を見つけられ、犬の耳は人の気配を敏感に察知してここぞとばかりに身を摺り寄せてくる。拒否できるほど冷たくもなく、その愛らしさ故に突き放せない。
学校故に名字で呼ぶが、誰も邪魔が入らなければひっきりなしに抱き着いてくる。それが男子トイレだろうと更衣室だろうとおかまいなしに。

「ねぇ、黒崎君。今日の私の授業どうだった?」
「え?ドジったところがありましたがそれでも前よりずっと良くなってると思いますよ。これなら心配して授業を見ることもなくなりそうですし。あやかだって納得してくれると思いますけど」
「んふ♪私頑張れたかな?」
「え、ええ。すごく頑張れてました」
「それなら褒めて」
「ここで!?」

何度も言うがここは男子トイレである。本来御子柴先生とは縁も所縁もない場所だ。
だというのにお構いなしに身を寄せてぐいぐいとオレの体を押してくる。背後にあるは洋式トイレの個室でありそこめがけて押し込めるように。

「ちょ、ととととっ!」

本来押し返せるはずなの
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