特徴的な胡桃色の髪の毛を二つのお下げにした姿。それは年齢や立場よりもずっと彼女を幼く見せる。だからと言ってただの子供ではなく柔和な雰囲気と垂れ気味な瞳が聖母の様な印象を与えてくれる。
眺める皆はにこやかで、流れる空気は穏やかで。時折聞こえる説明に誰もが心を安堵させ、次の言葉を待っていた。
「だから、この年代では―」
黒板にチョークで文字を綴っていく。精一杯腕を伸ばして一番上からつらつらと。
だが、集中しすぎた彼女は気づかない。今日着てきたカーディガンの裾が机に引っかかっていることに。
「―であって、当時は疫病が流行したんだよ。だから、それを経て」
黒板の端へと移動するがカーディガンが彼女を引っ張る。それでも振り切ろうと足を進める彼女は知らない。その布がチョークケースも引っ掛けたことに。
生徒は誰も、何も言わない。なぜなら期待しているからだ。すぐ起こるであろう出来事を。
「これは知っている人も多いと思うけど」
カーディガンの裾が外れる。同時に、机の上に乗っていたチョークケースがパチンコの如く飛び出し、彼女に直撃するのだった。
「がっ!いったぁ〜」
チョークが飛び散る。あるものは砕け散り、白い粉が舞い上がる。その中で彼女は当たった部分を手で押さえ座り込んでいた。
一斉に沸き起こる笑いの渦。これがいつもの事であり、これぞ我らが世界史の教師。
「ももちんったらいつも通りドジなんだから」
「かわいいよももちん!」
「んもぅ!先生に向かって可愛いなんて言わないの!」
いつものように交わされる会話と、授業らしからぬ砕けた空気。普通の教師にはない和やかさがあるが、しかし授業内容は驚くほどわかりやすい。
歴史を知るからこそ類似する出来事を例に出し、時には映画や漫画を交えたりとわかりやすさを考慮して教えてくれる。この学校内では上位に食い込む人気の教師だった。
それだけではない。生徒が悩み事を持ち掛ければ親身になって聞いてくれる。まるで自分が悩んでいるかのように熱くなり、時には共に涙する。そんな心優しい一面もある。
誰もが思う理想の教師。
だけど、ドジな年上の女性。
それが『御子柴 萌々(みこしば もも)』先生。
今、オレこと黒崎ゆうたが訪れているマンションに住んでいる人だった。
赤く燃える夕日も落ち、気づけば辺りは夜の帳が下りる頃。そんな中でオレは背中にもたれ掛ってくる黒崎あやかの案内で自転車を漕いでいた。見慣れぬ建物の角を曲がり、来たことのない道路を進み、辿り着いたのは十階建てのマンション。田舎寄りの都会と言えなくない風景の中でも一際目立つ大きさであり真っ白な外壁が高級感を漂わせている。
「……え?なにこれ?これ御子柴先生の家なの?」
「一番上の階の三番目のドアだって」
「オレも行かなきゃいけないの?」
「当り前でしょうが」
正直気は進まないがあやかに手を引かれるまま進んでいく。エレベーターで最上階まで辿り着くと言った通り三つ目のドアの前で止まった。
表札を見る。結構珍しい『御子柴』という苗字。まず間違ってはいないだろう。
あやかがインターホンを押す。するとしばらくしてドアが開けられた。
「あ」
「あ、黒崎さん!よかった、来てく、れ……て………?」
白色のドアを開けたのはオレよりも少し背が低い。着ている服は部屋着なのか飾り気のないワンピース。しかし、清純な彼女に良く似合っていた。
珍しい、部屋着の御子柴先生の姿。
そんな彼女は呼んでいないオレの姿を見て目を真ん丸に見開いた。対するオレもその姿と彼女の驚きの様子に何も言えない。ただ一人事情を理解しているあやかだけは人懐っこい笑みを浮かべて手を挙げた。
「どうも、ももちん」
世界史教師の御子柴先生。担当するクラスは主に文系だが、理系のクラスでも授業を行うことからどのクラスからでも人気は高い。
そんな彼女でもクラス担任であり、皆そのクラスを羨んでいる。そんな中の生徒の一人が何を隠そうオレの双子の暴君だった。
「あうぅぅ〜黒崎さ〜ん…」
そんな女教師が今にも泣きつきそうな声であやかに縋りつく。
人間にしては大きな耳を垂れ下げて。
人間には有り得ない大きな尻尾を垂れ下げて。
掌も足先も犬や猫の如く丸めながら。
一瞬何だと固まるが、隣のあやかは事情を知っているのか小さく頷いた。
「ももちん体調不良で休んでるから何かと思ったら…ふーん。別に人の趣味にとやかく言うつもりはないけど…」
「ちが、違うのぉ!メールした通りのことなのぉ!」
あれから自宅に入れてもらったのだが、一人暮らしには広すぎるリビングのど真ん中。辺りに散らばった採点中の答案用紙と、細かな解説に混じった誤字が彼女らしさを際立たせる。
そんなところで
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