お泣きください、御主人様

一定間隔に響いてくる音に私はゆっくり瞼を開いた。
いつもと同じ時間帯に目を覚ましベッドから身を起こす。だが、瞼を刺す光はなく薄暗い室内に気付いた。
ベッドから抜け出し寝巻を脱ぎ捨てる。いつものメイド服を着こみながら窓の外へと視線を向けた。



―雨だ。



窓を開け外を見る。灰色の天井から涙のように雫が垂れる。地面を濡らし湿った土の匂いが広がっては冷たい風が肌を撫でていく。

なんと―不快な空気だろう。

湿気った外気に眉を顰める。髪の毛先やキキーモラの耳や尻尾の毛先が跳ね上がっている気がする。これでは手入れに時間がかかりそうだ。
だが私を不快にさせるのはそんなものではない。

「…ふっ」

小さく息を吐き出せばそれ以上に濡れた空気が唇をかすめていく。その様子に筆舌しがたい感情を抱き始め、すぐに窓を閉めた。
灰色の空の下。湿気った空気と降り注ぐ雨粒。湿った地面と肌を刺す冷気。

その情景が嫌になる。

以前の旦那様、奥様もなくなった日には雨が降っていた。墓前に身を寄せ死ぬつもりでいたあの日もまた雨だった。
だが、御主人様であるユウタ様に出会ったのもこんな雨の日だった。あの日が終わりであり、そして今のための始まりだった。そう考えれば幾分かましだろう。いや、むしろ良い印象を抱くものだ。
だけど、雨の日は好きになれそうにない。



雨の日は―ユウタ様に会えないからだ。









「…失礼します」

部屋のドアをノックして反応を待つが何も聞こえない。耳を澄ますも物音一つしない。反応を待っても意味がない。それを知っている私はドアを開け室内へと踏み入れた。
いつも通りの部屋の中。家具も景色も変化なく整理された光景だった。
ただ、問題なのは既に干された洗濯物とテーブルの上に並べられた食事だろう。誰でもない、私へと用意した食事と既に済ませた家事。一見すれば私がまだメイドとして仕える前の光景と同じもの。

だが―そこに迎えて下さる優しい笑みはない。

仕事着である十字架の描かれた制服が部屋に残ったままだった。逆に、普段着であるあの黒く高級感あふれた服のみがなくなっていた。
ユウタ様は部屋からいなくなっていた。

「…っ」

また、と胸を絞める感情を抑え込み別の部屋へと足を進める。
浴室は―いない。
寝室は―いない。
トイレは―いない。
ベランダは―いない。
リビングにも見当たらぬユウタ様の姿。だというのに掃除は終わらせたのか埃はない。昼食の用意はなく、夕食用の食材が取り出しやすい場所へ並んでいる。帰ってきたらすぐにできるようにだろう。


―『帰ってきたら』


「…どこへ行かれたのですか、ユウタ様」

誰もいなくなった冷たい室内で私の声は虚しく響くだけだった。





雨の日のユウタ様はどこかへと出かけてしまっている。しかし、次の日にはいつものように振る舞いながらレジーナ様の元へと行く。
レジーナ様もこのことには何も言わない。むしろ、許可しているらしい。そうでなければあの戦闘狂王女がこの部屋まで来て引っ張っていくことだろう。
ユウタ様は雨の日だけは接触を極端に嫌う。それはまるで猫が水を嫌うかの如く、尋常じゃない程に。以前、意地でもと後を追ったが容易く逃げられ、何よりも思い知らされた。


あれは軽々しく踏み込んでいいものではないと。


部外者が泥のついた足で踏み込めるほど無礼な領域ではない。もっと深く、もっと親しく、もっと大切な者だけが歩み寄れる繊細な部分だった。



あの時の私のように、脆く崩れてしまいかねないものだろう。



だから今までは見て見ぬふりをし続けた。次の日にはいつも通りで接するのだから気にすることではない。メイドとは御主人様に無駄な口出しをするものではなく、寄り添う従者のことなのだから。
だから、私はただメイドであり続けた。いや、三流程度のメイドで甘んじていた。

だが今は違う。

共に過ごした時間がある。
築き上げた信頼がある。
何より今はキキーモラである。
ユウタ様の心情を理解できる。何を求めているのか察することができる。あの闇色の瞳の奥に隠した感情を読み取り、心の支えになれる。
一流のメイドになるためではない。
完璧なメイドとして仕えるためではない。


ユウタ様ただ一人のメイドとしてあるためだ。


だが、一つの問題がある。
ユウタ様の足は速い。勘もまた良い。追いかけたところで気づかれて、すぐに姿を眩ませる。まるで煙か、靄かの如く。
ならば誘えばいいというわけではない。近づけばその分離れられ、招いたところで気づかれず、視線が向いたところでやんわりと拒否されることは目に見えている。

それ以上に―どこにいるのかがわからない。

常に別の場所へいるのか、はたまたわざと痕跡を消しているのか雨の日のユウ
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