おはようございます、御主人様

冷たい朝の空気を吸いこみ私は気持ちを落ち着ける。耳を澄ませば聞こえるのは極力音をたてまいとせわしなく働き始める女中や従者達。私もまたその内の一人である。
ただし、私の場合は王族に仕え、王宮で仕事をする彼等とは違う。
忠誠を誓ったのは国ではない。心を捧げたのは王ではない。



―私が仕えるのはたった一人の男性だけ。



仕えるべき主人の元へと足を進める。時間はまだまだ早朝だ。普通の人ならまだ活動時間どころか起床時間にすらなっていない。この時間帯に行動を起こすのは私たちや早朝から仕事のある者ぐらいだろう。
木造であり清潔感のある、高級感を醸し出す一枚のドアの前に私は立つ。一度息を吐き出して服が乱れてないかをチェックし、胸元に着けた十字架を整える。中央にはめ込まれているのは私の仕える主と同じ色の宝石であり、指先で表面をなぞると控えめにノックする。

「…」

耳をすませるも返事はない。それが普通だ。
皆まだベッドの中で睡眠の最中。それならば返答はないのが当然のこと。今の内に今日着る服の用意や目覚めの紅茶やコーヒーなどの用意をする。本来ならば厨房で朝食を運んできてもいいのだがそんなことをしていたら彼は自分で全てを済ませてしまうだろう。

「…失礼します」

その一言と共に私はドアを開けて部屋の中へと入っていった。





朝日の差し込む大きな窓。一人で使うには十分すぎる広さを有する空間。足裏に感じる柔らかな絨毯に豪勢な家具が見栄えよく配置されている。しかしそれが部屋の主の趣味ではないことを私は知っている。
寝室へと足を向ける。そこにいるであろう御主人様を確認するためだ。
同じデザインのドアを開け、足音を立てないように彼の元に近づいていく。シーツの膨らみが確認できる距離に踏み込もうとしたそのとき―

「―おはよ」

柔らかな声色が背後からかけられた。優しい挨拶に内心落胆しながら私は抑えて振り返る。

「…おはようございます、御主人様」
「御主人様はやめてって」

頭を下げる私を前に彼は苦笑する。頭を上げるように言われ私は彼の姿を見た。
差し込む朝日を吸い込むような黒い色の髪の毛。影を縫い合わせたような服に星のように煌めく黄金のボタン。そして闇夜を押し固めたような漆黒の瞳。私と初めて出会ったときと同じ姿。



―今の私の御主人様である黒崎ユウタ様。



「いっつも言ってるじゃん。オレはあのときそう呼ばれたいから助けたわけじゃないって」
「…ですが私にとって今仕えるべき御主人様は貴方様しかおりません」
「エミリーさんを助けたのは仕えてほしいからじゃないんだよ」
「…メイド相手に『さん』を付けるべきではありません。それに、私に存在意義を説いたのはユウタ様です」
「それはまぁ、そうだけどさ」

私と出会ったときと同じ姿をしているということは既に着替え終えたということ。身なりは整っているし洗顔や他も既に終わらせていることだろう。あまりの行動時間の早さと手際の良さに頭が痛くなる。
御主人様の世話をすることこそメイドの仕事。それは雑用や家事だけではなく体調管理や金銭管理と言ったことも含まれる。御主人様に心地よい朝を提供する。それもまた、メイドの大切な仕事だ。

「…ユウタ様」

よって私は進言しなければならない。
メイドとは時に、御主人様の過ちをただすこともまた一つの仕事であるのだから。

「…僭越ながら申し上げますがユウタ様。私が来る前に起きるのはお止め下さい」
「ん?何で?」
「…メイドの一日の始まりは御主人様を起こすことから始まります。もちろんその前に料理や服の準備はさせていただきますがそれでもメイドの始まりはあくまで御主人様のお目覚めで始まるのです。御主人様であるユウタ様が快適な朝を迎えられるようにすることが私のメイドとしての始まりなのです」
「あ、そう、なんだ…」
「…ええ、そうです。なので、私が来るまでは睡眠をご堪能下さい」
「って言ってもね。寝顔を見られるのはあまり好きじゃないし、寝起きってオレ機嫌すごく悪いよ」
「…だからこそ私が快適に目を覚ませるように尽力させていただくのです」
「いや、でもさ。異性なわけだし、何かと大変なところもあるから」
「…ナニかと、ですか」
「うん?何でそこに反応したの?」

怪訝そうに片眉を吊り上げたユウタ様。対して私は滴りかけた涎を啜る。

「まぁ、ともかくさ。自分でやれるべきことはやるべきだよ。オレは何も出来ない子供じゃないんだから」
「…ですがこれでは私がいる意味がありません。どれほど細かなことであってもそれをサポートするのがメイド。心地よい目覚めから満足いく睡眠までを支えるのがメイドの義務です」
「それは、まぁ別のことをやってくれればいいからさ。それで、その…」

気まずそうに視線を泳がせ
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