悪化した。
いづなさんに相談してからたったの三日。狐たちの猛攻は激化の一途をたどるだけだ。
掃除道具はなんのその。囲炉裏の灰に薪の一本。靴や着物に家具一式。時には人にすら化ける始末。石段の付近で足を抑えた女性を助けようとしたら思い切り尻尾でビンタされた。
最近では睡眠時まで攻撃される始末。元々眠りも浅い体質故に一晩中眠れぬ日もある程だ。
「…ぁぁ」
鏡に映る自分の顔。目元にはっきりと刻まれた隈を見てため息をつく。
徹夜なんて絶対しない。健康のためではなく体のサイクル的なもののため。だから今までだって遅く帰っても絶対に寝ることだけはしていた。
だというのに…。
「ん眠い………」
精神が落ち着かない。
苛立ちが止みそうにない。
ぶちまけようのない怒りが湧き上がってくる。
しかしそれを上回る眠気に頭が揺れる。
だからと言って船を漕げば狐たちの恰好の標的だ。
「ホウ酸団子って狐にも効くんだっけ…」
ぐらつく意識にとうとうそんなことすら考え始めてしまう。これだから睡眠不足は嫌なんだ。せめて何か気分転換になるもの……ああ、そうだ。
「甘いものでも食べるかな」
御茶請けとして買い溜めしてある黒糖かりんとう。よくおばあちゃんに買ってもらった大好物のお菓子だ。眠気のせいでまともな食事も作れないが今はあれぐらいでちょうどいいだろう。
重い腰を上げて台所へと歩いていく。古ぼけた戸棚の中へ手を伸ばしてかりんとうを取―
「…あ?」
何もなかった。
密閉した器の中にしまっていたはずだが器を覗き込んでも何もない。あるのは小さく尖った欠片だけ。
欠片だけ…。
欠片、だけ?
「…やられた」
カラスが食べ物を掻っ攫っていくように。
猫が魚を食い散らかしていくように。
化けることができる以前に狐というのは獣なんだ、その程度のことぐらいして当然か。
舌打ちする気力すら起きない。溜息すら出そうにない。
後ろに倒れかけたところで突然視界の端から黒い物体が飛び込んできた。
「え、おわっ!」
釜だ。
すぐさま体を反らし紙一重で避ける。だが、オレの真上に来た瞬間釜が上下逆転した。
中に何かがあるかもしれない。
刃物。
熱湯。
釘。
鋏。
落ちてくるだけでも大怪我する様な危ないもの。確実に避けないといけないはずなのにわかってなお、他人事のように眺めている自分がいた。
閉じかけた瞳に釜の中身が映りそして―
ばしゃり、とバケツをひっくり返したような水を被ってしまった。
「………」
ぽたぽたと毛先から水滴が落ちていく。どうやら中身はただの水だったらしい。
眠気でぼやけた意識がはっきりとした。それと同時に湧き出していた感情が確かな形を成していく。
危険に対する本能よりも、未知に対する警戒も、ずっと強くて濃くて、深くて熱い感情。
すなわち―
「…くそったれがぁあああああああ!!」
―怒りへと。
右手の親指に唾液をつけ、右眉毛に塗りたくる。そして左の眼を閉じて拳を握りこんだ。
古来より化かされた妖怪相手への対処の手段。人間が知恵と度胸で練り上げた人外相手を見破るための術だ。他にも股の間から覗き込んだり指を組んで窓を作ったりと様々なまじないがあるが両手をあけながらできる『眉唾』が今は適している。
―だが、おまじないというのは本来そう軽々と使うものではない。
見えない物を見抜くため、化かした相手を突き止めるための術だが本来人の生活にはあってはならないものだ。
見えない物を無理やり見えるようにする。その行為自体ただの人間には荷が重すぎる。
だからこそおまじないはここぞというときにしか使ってはいけない。あまり使いすぎると真実と虚偽が真逆になるぞと昔教えられたものだ。
―しかし、この現状となれば使わずにはいられないだろう。
唾を塗った方の目であたりを見渡す。廊下を、縁側を、今を、台所を。
畳の一枚に生えた尻尾。
急須の横手代わりに生えた尻尾。
御釜の蓋から生えた耳。
柱の一部から前足が出ているのもあった。
見つけた数は五匹ほど。おそらく先ほどの二匹もまた混じっている。まだまだいるだろうが今はこいつらを追い払わなければまともな生活を送れないし、この怒りが収まらない。
「人間舐めんなぁあ!」
まずは畳。
両手を思い切り叩きつけ反動で化けた畳が持ち上がった。端を掴むと思い切り縁側へと放り投げると地面に落ちる前に狐に戻って逃げていく。
これで一匹。
続いて急須。
横手を掴もうと手を伸ばすがのらりくらりと躱される。ならばと握った拳を隣に叩きつけた。木の板が折れる音を響かせ破片が飛び散る。後で床板を変える羽目になるが仕方ない。
衝撃と音にビビった狐が変化をとくとすぐに平手で外へと弾き飛ばす。
これで二匹。
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