雲の漂う外を見つめふぅっと小さくため息をつく。洗濯物を終わらせて薪を割り終わって掃除も終えてさらには風呂の用意も終えてしまった。料理をするための道具を台所に並べたのだが肝心の食材がないのでそちらも進まない。つまるところオレこと黒崎ゆうたは既に今やるべきことを終えてしまったということだ。
「…ん?」
窓ガラスの向こう側、雲の漂う標高の高いこの場所に訪れる者はまずいない。だがオレの目に映った影は徐々に大きくなってくる。
雲を抜けて飛んできたのは人間に近い形をしている。遠目でもわかる程特徴的な姿をしたその人間は大きな膨らみが胸にある、つまるところ女性だった。
背中に大きく黒い翼を生やし、両肩にはそれぞれ『山羊』の頭と『竜』の頭を付けている。そこから伸びる手は片方は白い毛に覆われ、もう片方は鱗に包まれていると奇妙な物。さらには臀部からは見たことのない『蛇』が伸びていた。頭からは角を生やし、さらには『獅子』の耳もある。まるでさまざまな伝説の魔獣を組み合わせたような姿だった。
『キマイラ』
伝承にある『獅子』、『竜』、『山羊』、『蛇』の四体の魔獣を組み合わせて生まれた合成獣に似た姿。
だが、その姿は全体的に露出が多く、豊かな二つの膨らみを惜しげもなく晒しながら蠱惑的なくびれや眩しい太腿まで見せつけている。切れ長で色の異なる瞳に、すっと通った鼻筋や艶やかな唇。整った顔立ちは誰もが美女ということだろう。外見が異形であろうが彼女は間違いなく美しかった。
そんな女性がこの家の主であり、こんなところに来たオレを攫って行った人物だった。
「お帰り、エルマーナ」
「ああ、ただいま、ユウタ」
ドアを開けて彼女を迎える。返ってきた言葉は凛々しくも鈴を転がしたかのような透き通った声だった。体についた埃を払うと右手に持っていた大きな肉の塊を持ち上げる。
「熊肉だ」
「おぉ」
オレが両手を使ってでも持ち上げられないだろう大きな熊肉をエルマーナは軽々と持ち運ぶ。『竜』が混じっているのだからその力は人間には計り知れない。
左手には剥いだものらしき熊の毛皮があり、両腕とも血抜きを済ませ捌いてくれたからか血まみれだった。
「んじゃ、今日は熊汁かな」
熊と言えば滅多に食べられない食材。確か少量でも旨みがかなりあったはず。スープに旨みを溶かせば野菜にも染み込み極上なことだろう。だが、たった一品でエルマーナが満足するはずもない。他に作るとしたらどうするか。この肉の量は食べきるにはかなりの時間が必要だろうしその間に痛みかねない。故に量のあるものがいいだろうか。
「おい、ユウタ」
献立を考えていたところにエルマーナに声を掛けられた。何かと思ってそちらを向くと切れ長の瞳が細められ剣呑な雰囲気が肌を刺激する。
「…え。何?」
「私よりも先に料理とはいい度胸だ。まずはその肉を取ってきた私に労わるべきだろうが」
やや高圧的な態度。自分の事を中心に考え、どことなくオレを見下した応対。普段からこうなので別段気にも留めないが、だが目の前にあるのは生肉だ。放っておいたら後々やばくなってくる。
「さっさとしないと肉傷むよ」
「『山羊』が既に魔術を施した。放っておいたところで傷みもしない。それよりも私は血抜きをしたせいで汚れて不快だ。なら、すべきことはわかるだろう?」
そう言いながら一回りも大きな手がオレの腕をつかみ風呂場へと引っ張っていく。力は強く抵抗なんてできそうにもない。
ああ、全く仕方ないな。いつものように心の中で呟くのだった。
「痛くない?」
「痛いわけがないだろうが。私は『竜』だぞ」
風呂場で椅子に座るエルマーナはオレの言葉にふんと鼻を鳴らした。手を洗うだけだというのに裸をタオルで包んだ姿で。
言葉通り彼女は今『竜』である。竜の体の部位というわけではなく、『竜』の人格だ。
元々キマイラというのは四種の生物を組み合わせた混合獣。故にそれらの生物の特徴を持ち合わせているがそれと同時に四種類の人格も備わっていた。
気高く、高圧的で冷静沈着な『竜』
雄々しく、直情的で豪快な『獅子』
計算高く、平和的で優しい『山羊』
嫉妬深く、官能的で狡猾な『蛇』
四つの人格を持ち、人外の姿をした彼女。だがタオル一枚に包んだ体は男には堪らないほど魅力的。こうしてただ手を洗っているだけでも先ほどから視線が移ってしまいそうなほどだ。
『竜』のエルマーナの手を傷つけぬように手で洗っていく。こびりついた血を流し、爪の間まで入念に。そうして綺麗な鱗が見えてきた。これならもう十分だろう。
「はい、終わり。それじゃあさっさと料理作るから」
「ん」
全ての血を洗い流しバスタオルで拭っていく。そうしてようやく洗い終えるとオレは風呂場から出て行こうとドアに手を掛けたその時。
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