夜の顔と一献の酒

なぜオレは艶やかな着物を着こんで頭を下げているのだろうか。事の発端は同心の先輩に夕食をご馳走になっていたときだった。
カラス天狗である彼女は普段冷静で理知的な姿だがそれでも酒を好むらしい。黒い羽の手を器用に使ってお猪口で何度も酒を味わっていた。その隣ではご馳走になっている身として、普段同心の先輩後輩という立場もあってお酒を注がせてもらっていた。

「…なぁ、ゆうた」
「はい?何ですか?」

空になったお猪口を見て手にした徳利から酒を注ぐ。音を立てないように静かに、それでいてこぼさないように注意深く。部屋の明かりを白く濁った日本酒のような液体が柔らかく反射し、芳醇なアルコールの匂いが鼻孔を刺激した。

「前々から思っていたが酒お前を注ぐの上手いんだな」
「ええまぁ。昔忙しい両親に代わって世話してくれた人が教えてくれたんですよ」

父の実家に住んでいるとんでもない酒豪の玉藻姉。まるで酒を水のように飲み干しては妖艶に笑う、剛胆な性格をした女性だ。

「その人もすごい酒豪な方でして、それに住んでたところもあまり娯楽のある場所じゃありませんでしたからね。退屈しのぎに教え込まれたんですよ」
「ふむ。その人とやらは随分と礼儀作法に詳しいのだな」
「そうなんですか?」

酒を飲まないオレとしては何がなんだかだ。ただただ教えられただけなのでどこがいいのかなんて全くわからない。だが酒を嗜む玉藻姐にたたき込まれたことはわかる人にはわかる礼儀作法なのだろう。
注がれた酒をまた飲み干すと先輩は言った。

「なぁ、ゆうた。それだけ酒を注ぐのが上手いのなら少し頼まれ事をして欲しいのだが」
「頼まれ事?」
「ああ、一晩だけお前に別の仕事について欲しい」
「え?同心の仕事のほうは?」
「休んでいいぞ。その次の日もな」
「…」

規律正しく曲がったことが大嫌いなカラス天狗の先輩なら特別重要な用事以外で休むことは許さない。だがそれでも休んでいいとまでいうのだからただの仕事ではないのだろう。その分きついのか、危ないのか。

「少しばかり私が世話になっている店主がな、人手が足りないとかで助っ人を求めてるんだ」
「一応聞きたいんですが、それってどういう仕事ですかね?」
「なに」

酒気を帯びてきたのか主に染まった頬をした先輩はお猪口の酒を飲み干して言った。


「夢を売る仕事だ」


「…かっこいいですね」

それでも引っかかる言い方だったが。
一応同心の後輩として先輩の顔を立てるべきだろう。それに先輩はオレがこの街にきていろいろと世話になっているんだ、彼女の頼みを無碍に断るのは気が引ける。
…仕方ないか。

「それならやらせていただきますよ」

そう言ったのが一昨日のこと。
昨日案内されたのはこのあたり一帯では珍しい豪華な店だった。赤い提灯をいくつも下げた煌びやかでどこか質素なところもある外装はジパングらしいもの。ただ、その豪華さはなんというか、まるで―

―そう、まるで遊郭のような雰囲気があった。

先輩の言葉と店の外観が頭の中をぐるぐる回る。
夢を売る仕事。
豪華な店外。
酒を注ぐ。
一晩。

「…一応聞きたいんですがこれってどういう店ですか?」
「飲み屋、とでも言うべきだろうな。ただ馬鹿騒ぎするような場所ではなく静かに飲みたい者が訪れるところだ」

先輩はそう言ったがどうしても店の外観と雰囲気からそれだけとは思えない。というかイメージ的に遊郭しか思い浮かばない。

「別にここはお前の考えているようないかがわしいものではない。酒飲み場に勺をする人間がついただけの店だ」
「…キャバクラやホストみたいなもんですか?」
「なんだそれ」
「いえ…」

時代が違うか。いや、時代どころか世界が違っているのだが。それでも似たような店というのはどこにでもあるらしい。

「早い話が一夜の酒を求める相手に酒を注ぐだけの仕事だ。一人寂しく飲むよりも誰かと飲みたいという者を相手にするだけだから変に緊張する必要はない。お前は部屋で待っていればいい。そこに客が訪れるから後は酒を注ぐなり談笑するなり好きにしていればいいんだ。簡単だろう?」
「言うだけならそうでしょうよ」

実際やるとなったらどれだけ大変なのだろう。こちとら談笑できるほど話題に富んではないし、ここで生まれ育った訳ではないんだ、何を話せば喜ぶのかわからない。

「…先輩、やっぱやめたいんですが」
「今更嫌だとは言わせんぞ」
「ですが同心がこんなところで働くなんてばれたら一大事じゃ?」
「そうか?そうだとしても接客の時はこの面をかぶって貰うし、名前も偽名をつけてもらうことになるからばれる心配はないぞ」

そう言って翼の手で掴んだのは顔の半分しか隠せないお面だった。特に装飾もない単調なもので祭りの屋台でも売れそうにない面白味のないもの
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