狐色の大きなそれは一本でも人間一人を軽々と拘束できるほど長いもの。それが九本もあれば包み込むことすら容易だろう。表面には滑らかに生え揃った毛並みが太陽光を柔らかく反射する。右に、左に揺れ動く様はまるで誘っているようにも見えた。
そんなものを間近で見せられて普通の人間なら耐えることはできないだろう。そして、健全な男子高校生であるオレ事黒崎ゆうたも当然耐えられるはずもなく、それへと向かって顔を押しつけた。
「んんん〜っ!」
なんともふもふしていることだろう。高級な羽毛布団だってここまで心地よくはないだろうに。さわったことないけど。
顔を擦り付ければ絶妙な柔らかさで沈み込み、生え揃う一本一本がふわりと受け止めてくれる。滑らかに肌を撫で、くすぐったくも心地よい感触を与えてくれる。ふわりと香る匂いは甘味や花にはない甘さがあった。
「ふふふ♪そんなにいいものですか?」
尻尾に抱きつかれながらも彼女は笑う。おかしそうに、それでいてどこか嬉しそうに。
「最高ですよ。病みつきになりそうなぐらいに」
「ふふっ♪本当におかしな方」
そう言って口元に手をあて笑う女性はいづなという女性だ。
オレがこの街を一望できる場所を探しているとき偶然に出会った女性。しかし、ただの女性ではなく稲荷という妖怪らしい。その証拠に臀部からは尻尾が伸び、頭からは三角形の耳が生えている。
町中でも見かける肌の真っ赤なアカオニや同心の先輩であるカラス天狗同様に人間ではない存在。だが、彼女の場合は存在どころか格すら違う。
―何よりも目立つ臀部から生え揃った九つの尻尾。
九つの尻尾が生えた狐は神と同等に扱われる。その妖力は人智を越え、尻尾の一振りは天災をもたらすなどと言われる存在だ。父の実家に同じ九尾を奉った社があるのだから十分理解している。だがそんなことただの言い伝えや伝承であって事実ではない。目の前にいる九尾は凶暴さのかけらもないし、むしろ親しげに接してくれる。まるで優しい年上のお姉さんのように。
「九尾なんて崇められても親しげに接してくれる人なんていませんよ」
「?そりゃまた何で?」
「皆私のことを神様と扱うからでしょう。信仰深いことは悪いことではないのですが一線を引かれている気がしてあまりいいものではありませんね」
いくら親しげに話せる相手でも人間の理解を超える存在ではそうそう気安くはできないのだろう。自分よりも格上の存在を怒らせたとなると何をされるかわかったもんじゃない。しかも彼女は九尾である。対峙しただけでもわかるがあの街にいる妖怪と比べると格が違いすぎる。
だからこそ。
「…役得ですね」
「ふふ」
オレの言葉にいづなさんはおかしそうに笑った。
「普段神様として崇められてことはありましたがそんな風に言う人は初めてです」
「嫌ですか?」
「嫌ではないですよ。少しくすぐったいですけどね」
口元に手を当てて上品にくすくす笑う。頭から生えた狐の耳がわずかに動く。揺らぐ尻尾が少し膨らむ。
その姿はきっと誰もが見とれる事だろう。異形であっても九尾であっても彼女が美女と言うことに変わりない。
ちらりと視線を鳥居へと移す。この敷地の入り口であり神域を示す門には誰も訪れる様子はない。
「…本当に誰も来ませんね」
「いつも通りですよ」
微笑みを向けながら、それでも寂しげな笑みでいづなさんは言った。
初めて出会ったときから既に三度通っているこの場所にオレと彼女以外に人はいない。数百を超える石段や町はずれという立地条件が悪いというのもあるが、神様の住まう土地に訪れること事態を無礼と考えての事だろう。
そんなこと余所者であるオレにとっては関係のない。オレはいづなさんに呼ばれたから来るだけであって、彼女との会話やこの感触を堪能したくてただ来るだけだ。
顔を擦り付け尻尾の感触を存分に堪能する。人の尻尾だとわかっていてもやめられるものじゃない。この感触の前では理性も意地も意味がない。暖かくて、心地よくて、それでいていい匂いがするそれにあらがうことなど出来やしないのだから。
「んん…」
どれほど柔らかなぬいぐるみでもどれほど高価な布団でもきっとこの毛並みや手触りを再現することはできないだろう。人間の手では絶対に作れない魔性の心地よさ。それは一度味わえば二度と手放すことなどできないだろう。
指先に絡めて、手のひらで味わって、頬をこすりつけて顔を埋める。
最高。
きっと幸せというのはこういうことを言うのかもしれない。そんなことを思いながらオレは瞼を閉じるのだった。
日の傾き始めた頃縁側でのんびりといづなさんの尻尾に顔を埋め会話していたオレはゆっくり体を起こした。
「そろそろ帰りますね」
このままずっとこうしていたいのだが流石に明日のことがある。買い物をし
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