湯煙の落涙

「…よし」

赤い暖簾をくぐると中々広い脱衣所に出た。木の板でできた床に真っ白な壁。その中央にあるのは蔓で編まれた籠とバスタオルとタオルがセットになって入っている棚が並ぶ。出た後はこれで拭けということだろう。質素というか簡素というか、飾り気がない。ジパングの家屋とはこういうものなのだろうか。
私は帯をほどきユカタを脱ぎ捨てる。

「…」

ほんのわずかな時間着飾っていられた私の存在。ジパングの文化に染めた私の姿。ただの布で魔力すら込められていないというのに着ているときは王女ということを忘れていた。
このジパングだからか。
このキモノのおかげか。
ユウタの隣だったからか。
暫く手にしたキモノを眺めると折りたたんで籠へと入れる。一度着た服だ、二度目は自分の手で着られるだろう。
タオルで体を包むと脱衣所から温泉へと足を進めた。横開きで曇りガラスのはめられたドアを開ける。その向こうに広がっていたのは石で作られた床や風呂、それらを覆い隠すように湧き出す大量の湯気だった。

「…ふむ」

竹垣で仕切りを作り、野外に風呂を設置することで開放感ある空間となっているのか。普段は室内で湯浴みをするのだが空が見える風呂というのも悪いものではない。時折吹き付ける風がなんとも心地よさそうだ。
その場をゆっくりと進んでいくと漂う湯気の向こうに黒い影が現れた。その影はおそらく体を洗ったあとなんだろう、頭の上から湯を被ると立ち上がって温泉の方へと歩いていく。
私に気づいた様子はない。

「ふふん♪」

これからその影が浮かべるだろう表情を思い浮かべると思わず笑みが浮かんでしまう。それをなんとか噛み殺し、湯に浸かったタイミングを見計らって名を呼んだ。

「ユウタ」
「…………え?レジーナ?」

そこにいたのは先ほど私と別れたはずである黒崎ユウタの姿だった。ユウタは湯気の中から出てきた私の姿を見ると目を見開き固まった。
驚いた表情ではあるのだがその驚きが尋常じゃない。口づけをした時とはまた違う余裕なんて欠片もない表情も珍しくて面白いものだ。

「なんだその反応は?まるで鳩が火炎魔法を打ち込まれたようだぞ?」
「…いやいやいやいや」

大慌てで湯を撒き散らし奥の方へと逃げていく。
おぉ、これは…恥ずかしがっているな♪

「なんでレジーナがここにいんのさっ!?ここ男湯なのに!?」
「それはおかしいな。私は女湯の暖簾をくぐってきたぞ?」

その言葉がユウタは全く理解できていない。だが私にはわかっている。
そもそもはユウタがもらってきたというあの温泉宿のチケット。あの紙切れの詳細はユウタのわからないこの世界の言葉で書かれていた。
デカデカと目立つように書かれていた言葉。



『貸切混浴露天風呂』



つまりこの温泉に私たち以外入ってくる者はいない。そして混浴故に男女で風呂が分かれていない。
あの商売人はそれを狙っていたのだろう。混浴の温泉で互いに一糸纏わぬ姿になったところで誘惑し、ユウタを篭絡せんと考えていたことだろう。見事に裏目に出たわけだが。

「…まさかこの温泉混浴?」
「そうなんだろうなぁ♪」

手近なところにあったタオルを手に取るとユウタは腰をあげて後ろへと足を動かし始めた。
湯気でよく見えないがそれでも絞られた体だということがよくわかる。ほどよく付けられた筋肉には無駄がなくしなやかな四肢は細くても逞しく私の目に映る。
男性の体とは初めて見るものだが…これはなんとも美しいものだ。

「ふふん♪中々男らしい体をしているじゃないか、ユウタ」

足をつけるとやや熱めの湯が肌に染み込んでくる。白く濁った湯なのでタオルを離しても湯に浸かれば見られることはないだろう。
まぁ、この男には見せてやってもいいのだが。

「…」

私が一歩進むとユウタは一歩下がっていく。だがこの温泉は広くも限りがないわけじゃない。後ろに下がれば下がるほど壁が近づくだけだ。
一歩また一歩、進んだところでユウタの足が止まった。どうやら背中に壁が当たったらしい。

「うぁ…壁…」
「何を逃げる必要がある?別に取って食ったりしないんだぞ?」
「いや、だからって一緒に入っていいもんじゃないでしょうが」
「別にいいだろうが。一国の王女と湯を共にすることがどれほどの名誉だがわかっているのか?そこらの騎士なら泣いて喜ぶところだぞ?」
「オレはそこらの騎士じゃないんで。名誉よりも常識を重んじるんだよ」
「なんだ、男だったら普通喜ぶものだろうが、もったいないやつめ」

これ以上近づけば距離は詰められるだろうがそれでは面白くない。いや、既に顔を赤くしたユウタを眺めているのもいいが今は少し落ち着きたかった。
私はその場に腰を下ろして湯に体を浸す。

「…」
「何ぼーっとつっ立っているんだ。そんなところにいては湯冷め
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