月夜と貴方とオレとおしゃべり

いたるところに作られた水路から海水の流れる音が街の中に響く。穏やかな水の音は聞く者の心を洗い流すような安らぎを与えてくれた。
それは昼も、太陽の落ちた月夜の晩もまた同じ。
煉瓦や石畳といった中世のような街並みを眺めながら潮の香りがする道中を歩く。水路を沿って行けばその先にあるのは海。大きく青く、透き通った海の美しさはエンジンオイルで汚く濁った海とは雲泥の差だ。夜中でも月明かりが透き通り、水面を輝かせる光景はまるで海外のリゾート地。
そもそも、ここは海外どころか世界が違うのだけど。そんな風に思ってオレこと黒崎ゆうたは小さく息を吐き、歩いていた。夜中だからか誰もいない街中は静かで、昼間ならば賑わっているだろう大通りを通り、水路の流れる先へと進む。
理由は単純、散歩だった。
わけは簡単、することがないから。
こんな絵に書いたようなファンタジーな世界にはテレビなんてものは復旧していない。当然だ、オレのいたところとは世界が違っているのだから。
文字も読むことができない。平仮名、漢字、カタカナに英語と今まで学んだものとは違う文字で書かれた本では暇つぶしの道具になるはずもない。
なら誰かとおしゃべりするというのもあるが、この微妙な時間帯では起きている人はそういないだろう。この街の人というかこの世界の人は夜更しをしないのかどの家も明かりが既に消えている。ほんの一部の店はまだやっているものの客足は少なそうだ。
横目で確認しつつも足を進める。それから特に目につくものもなく、水路を辿っていると海へと出た。
淡い月明かりの下に浮かび上がる透き通った海。時折見える魚が光を反射する光景はテレビでもお目にかかれないほど幻想的で、別次元の美しさがあった。思わずため息が漏れ、目を細める。
ただ、ここに来たところですることもない。海岸沿いを歩くのはいいがこの時間帯ではいろいろとまずいだろう。
なら、別のところにでもいこうかと踵を返そうとしたそのとき。

「…んん?」

横目にちらりと映ったものに奇妙な声を上げてしまう。というのも海岸に人影が見えたからだ。
この時間帯にでも泳ぐ人は一人ぐらいいるだろう。というか、この海岸それ以外の目的で訪れる人も多くいるらしい。だから人影の一つや二つなんて気にすべきじゃない。
だがその人影はちょっと様子がおかしかった。
波打ち際で足を揃えて座る姿。月明かりだけでははっきり見れないがあたふたと慌てている様子だ。何やらトラブルでもあったのだろうか。

「…よし」

どうせすることもないんだし、たった一夜の人助けとでもいこうか。そんな風に思ってオレはその人影へと足を進めた。





海岸にいたのは一人の女性だった。
砂浜の上に座り込み、こちらをじっと見つめてくる女性。真っ白な肌が海水に濡れ月明かりに照らし出される姿はなんとも艶やかで魅惑的。年齢的にはオレよりも上なのだろう外見は年相応に成熟しており豊満な膨らみが二つ、悩ましく瞳に映った。
薄紫色の長髪に優しそうな光をともした目。薄らと笑みを浮かべた口元に奇妙なデザインの施された服らしきもの。
それだけを取れば彼女は人間に思えただろう。だがこの世界、こんな海、こんな時間帯に出会うのはたいてい人間じゃないとオレは経験で知っている。
彼女の足は二本ではなかった。
ゆらゆらと揺らめくのはまるで触手のような足。数えてみれば計十本。確かこの街の孤児院には足が八本のスキュラという魔物の先生がいたが彼女も似たような存在なのだろう。

「こんばんは」

にっこり笑って挨拶をしてくる彼女。
基本この街の人々や魔物という存在の女性は皆朗らかで親しみやすい人ばかりだ。魔物の方は親しみやすい上にどこか積極的というか、体をくっつけたがるというか、正直健全な男子高校生にとっては嬉し恥ずかし辛いような感じなのだが彼女も同じなのだろうか。
とりあえずオレも笑みを浮かべて挨拶を返した。

「こんばんは。えっと、どうしたんですか?」

オレの言葉に彼女は困ったように自分の足を指差した。そこにあるのは真っ白で吸盤のついた十本の足。ただ、数えられたのは先端の部分だけ。その他は伸ばされているわけではなく縛られたようにひとまとまりになっている。

「陸上に出ようとしたら足が絡まっちゃって…助けてもらえないかしら?」
「…あー」

十本も足があるのだから絡まることも無理ないだろう。足が二本しかない人間だって存分に使いこなせているとは言い難いのだからその五倍となっては人間であるオレには想像もつかない。

「それじゃ、失礼して」

とりあえずオレは彼女の足に手を這わせ、絡まった部分をといていく。意外と大きさのある足をほどくのはそれほど苦にならずに結び目に指を刺し、擽るようにほぐしてやるとすぐに解けていった。

「ありがとう。こんな時間帯
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