「―っと、以上だ」
遠くまで聞こえそうな、凛とした威厳ある声に動かしていたペンを止め、書き上げた数字を見つめる。聞き逃したものがないかを確かめたら今度は空いた部分に計算式を書いていく。
足して、掛けて、引いたら割って、また足して。答えが出れば再びペンを走らせて今度は別の計算式を作り、答えを導く。そうすると先程と同じ答えが出た。
「はい、出来ましたよ。先輩、口で言ってくから書き写してくれますか?」
「ああ」
「んじゃ、上から―」
今出た数字を先輩に伝えると彼女は頭に生やした犬のような三角形の耳をぴくぴく動かしながら紙に書き写していく。流れるような動作でペンを走らせる彼女の顔をオレは眺めた。
切れ長で凛とした目元に瑞々しくも通った威厳のある声を発する唇。すっとした鼻筋にオレのいたところではそう見られない、キメ細かい褐色肌、さらには黒曜石のように艶やかな長い黒髪。黄金でできた髪飾りや天秤、さらには剣を腰に携える女性。
ただし、人間にしてはちょっとおかしなところもある。
砂漠には似つかわしくない露出の多い姿もさることながら、頭に生やした髪の毛と同色の犬のような耳や臀部に生えるこれまた犬のような尻尾。そして両手両足は肉球までついた犬のもの。凛々しく綺麗な顔とのギャップがまたたまらない彼女はどこかエキゾチックで魅惑的な雰囲気を漂わせながらも指導者として全てを統率する威厳ある女性だった。
それがオレの先輩であるアヌビスのシェヌ。
全てを伝え終えると彼女はスラスラとオレには読めない文字を紙に書いていく。隣に置かれていた紙の束は既に先輩の持っているものが最後であり、これでオレの今やるべきことはなくなった。あとは先輩が書き写し終わり、紙を別室に運んで仕舞えば今日の仕事は終了だ。
ほぅっとため息にも似たものを吐き出し、ガラスのない窓の外へと視線を投げる。そこにあるのは緑に覆われた大地に厳しい灼熱の日差し。さらにはるか先にはテレビや写真でしか見ることのできなかったいくつもの砂丘。どれもこれも高校に通っていた頃には、あの世界では直接見ることのなかったものばかりだ。
勉学に追われ、家事に追われ、忙しい毎日を送っていた日々と違い今では随分と落ち着いた毎日を送っている。勉強の代わりに仕事をこなすこととなったがそれでも充実した日々だ。
もう一度ため息をついて計算式の書かれた紙をまとめる。すると先輩がペンを動かしながら言った。
「本当にユウタは計算が早いな。これなら予定の時刻よりも早く仕事を終わらせられるぞ」
「理系にとって数学できることは必須ですからね」
「…?理系?」
「あ、いえ、こっちの話です」
昼食後から計算し、書き続けていたおかげで窓の外からは夕日の光が差し込んでいる。赤い光に照らされるアヌビスを眺めていると彼女はペンを置いて立ち上がった。今まで書いていた紙まとめ、隣の書類の束の上に積み上げる。
「よし。後はこれを仕舞えばいいだろう」
「運ぶだけなら手伝いますよ」
横に積まれた資料や書類の束を目にしてオレは立ち上がる。女性一人で運ばせるにはあまりにも量が多すぎる。先輩が人間ではないアヌビスであって、オレの常識が一切通用しない存在だとしても女性に重い物を運ばせるわけにはいかない。
「む。そうか?なら頼むぞ」
「お安い御用です」
書類の束を抱えて先輩の後を歩いていく。石畳のような床に神殿のような柱、壁に掛けられた松明などはまるで映画のセットのような、それでも現実で間違いない遺跡内。いい加減慣れてきたが、未だに歩くだけでもワクワクする。壁の隙間から刃が飛び出したり、足元がいきなり抜けたり、色の違う石畳を踏んだら岩が転がってきたりとゲームみたいな仕掛けが施されていそうで退屈しない。最もここらにそんな仕掛けはないと知っているのだけど。
そんな遺跡内を進んでいると先輩はふと思い出したように言った。
「そういえばリンクスはどうした?この時間帯ならまだ門番をしてるはずだが?」
それはここの遺跡の門番をしている女性の名前。先輩同様褐色肌で露出の多い服を着た可愛らしい人なのだが、先輩同様に人間ではない。あの有名なスフィンクスの魔物らしい。
「寝てましたよ」
「…」
オレの言葉に呆れたように先輩はため息をついた。
先輩と違って付き合いやすい性格なのだが困ったことにちょっとサボり癖がある。彼女もまたオレにとって先輩なのだが…サボってることは正直に報告しないといけない。隠せばオレまで仕置をうけることになるのだから…。
「まったくあのダメ猫は。仕方ないが門まで起こしにいくぞ」
「いえ、部屋で寝てます」
その一言に先輩の尻尾の毛が一気に逆立った。
「………ユウタ、調理室でこの前商人から買い取ったあの香辛野菜を持ってこい」
「香味野菜って…まさか、山葵
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