「―ということになっております」
「ご苦労様」
私の一声に部下であるアヌビスは頭を下げた。姿勢が、頭を下げる角度が、全てが完璧と言えるほどきちっとした姿に何度もいい部下に恵まれたと思わされる。
ただ、隣にいる男性の頭を大きな手で引っつかみ、自分同様に頭を下げさせていることを除けば。
「もっと頭を下げろっ!」
「下げてる…すごい下げてるって…っ」
小声で私には聞こえないように言っているのだろうがちゃんと聞こえている。その様子に苦笑しつつ私は二人に頭を上げさせた。
「二人共、本当にありがとう」
「もったいなきお言葉です」
「ありがとうございます」
「それで、貴下は残ってくれないか?」
その言葉に二人は顔を見合わせ、私の視線に気づいてアヌビスが杖で隣の男性を強めにつついた。驚いた表情を浮かべた彼はアヌビスに今度は肘でつつかれた。
「何…?」
「王の前でそんな表情をするな!失礼だろう!」
「いや、驚いただけでそんな…痛っ!」
今度は杖の先端が足に食い込んだ。彼の足には靴があるとは言え痛そうだ。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ございません」
「大丈夫だ」
「それでは、失礼します」
そう言うとアヌビスは一礼して私に背を向けて歩き出した。途中、彼の肩を叩いて小声で何か言っていたが…きっと失礼のないようにとでもいうのだろう。
大きな謁見室のドアが閉じられ、広い空間は静寂で埋め尽くされた。
私は男性を見て微笑みを見せた。緊張するように硬い体にもっと楽にしていいと言う意味を込めて。
しかし彼は私の笑みを見ても気づかないのかその場に立ったままだ。それどころか片膝を床についた。
「して、このような粗忽者に対して一体どのような御用でしょうか。偉大なるファラオ、アレイア様」
そう言って彼は仰々しく頭を垂れる。私は彼のそんな姿を見て小さくため息をついた。
「やめてくれ。私は貴下にそのようなことをさせたいわけではない」
「失礼しました」
「敬語もやめろ」
「はい」
「やめろ」
「……わかったよ」
困ったような、どことなく呆れたような声と共に彼は頭を上げた。
ここらでは珍しい褐色ではない肌の色、この砂漠でもいるはいるが、それとはどこか違う黒い髪の毛。それから、砂漠の太陽の光さえも捉えて吸い込みそうなほど暗く深い闇のような瞳。見つめると底のない空間へと引き込まれそうな、そんな不思議な魅力のある男性。
それが彼、黒崎ユウタという男性だった。
「いつも言ってるだろう。私に敬語は使わないでくれと」
「そうは言ってもね、先輩が失礼だぞって杖で殴ってくるんだよ。目上の人、それも自分が仕える主人なのだから敬語は基本だろうってさ」
「それは困ったな」
仕事のできる有能な部下に恵まれることは嬉しいこと。だがあまりにも真面目すぎるのも考えものだ。これは後で説教でもしておくべきだろうか。
そのように考えていると私に絡みついていた蛇―エルペトがユウタの方へと身を寄せた。
「おっとっと」
彼は特に恐れるわけもなく頭を撫で、擽るように指を体に這わせていく。エルペトは嬉しそうに身を捩った。
「…」
正直望ましい。羨ましい。私にもやってほしい。
蛇相手に嫉妬するのもどうかと思うが、それでも思ってしまうのだから仕方ない。
「ユウタ」
「ん?何?」
「私にもしてくれ」
「…んん?」
一気に怪訝そうな表情を浮かべる。拒むわけではないだろうが、従順に応じるわけでもない。私の言葉に跪く素振りもない。
それでも恐る恐る手を伸ばして彼は私の頭に手を置いた。
「…いい子いい子」
「…なんか子供っぽいな」
「仕方ないじゃん」
それでも言葉にできない心地よさがある。私は目上の者だから敬われることはないが、褒めるものもいない。誰もしてくれないことをしてくれるユウタの行為はむず痒くくすぐったいところがあるが、悪くない。
そんな彼はとても不思議な男だった。
本来なら私の命令は誰もが絶対服従。真面目なアヌビスでも、普段仕事をサボりがちなスフィンクスでも、主神を崇める教団の勇者だろうと、誰もが跪き、頭を垂れる。抗える者などほんの一握りしかいない。
例えば、私と同等の力を持つ御方。
しかし、彼からは膨大どころか微塵も魔力を感じない。何か秘められた力を持っているようにも思えない。黒髪黒目の風貌は思わず惹かれてしまうほど綺麗なものだがその特徴以外これといって目立ったものはない。
なら、心の底から受け入れられない命令だったということ。
だが彼は拒むところは拒んでも、結局は「仕方ないな」と笑って応えてくれる。まるで子供の相手をする親のような、世話を焼く兄のような姿だ。
だが私はユウタの妹になれる年齢ではない。彼はまだ十代後半だろう。それに引き換え私は数千年眠っている身であって……
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