それは夢物語であり、何かの冗談かと思った。
しかし逆に彼女の眼は真剣そのものでオレを見ており、彼女の口調は嘘をついているようには思えない。
それでも信じられるだろうか。
まるでお伽話、ファンタジーの中の存在がいるというのは。
「あの子はね、小さいころはあんなふうではなかったの」
彼女は言った。
師匠の家の前、大きな庭の中央で。
なぜだか体を動かせないオレに言い聞かせるように。
「どこにでもいる…とは言い難いけどそれでも純粋で、女の子らしい子供だったのよ」
「…」
「でもね、あの子はそんな子供の時に誘拐されたの」
「っ!」
誘拐。
あの師匠の幼少時代なんて予想できそうにないが、その彼女の幼いころに誘拐された経験があったなんて思ってもいなかった。
「忘れもしないわ…白髪白髭の一人の男。どんな魅了も通じない、どんな魔法も通用しない、勇者」
魅了。
魔法。
勇者。
どれもゲームや物語に出てくる言葉を平然と彼女は口にする。
頭がおかしいのではないかと普段ならそう思えるはずなのに。
それでもそう思えないのは師匠も彼女も現実離れした美貌を持っていることと、彼女が纏っている摩訶不思議な雰囲気からか。
それともまっすぐに見つめるその瞳からか。
―深紅の瞳。
師匠の持っていたアクセサリーで禍々しく感じたあのブローチと同じ色。
同じ雰囲気。
そうか、あれはっきっと彼女の贈り物だったのだろう。
とても人間が贈ると思えない、不思議で奇妙なものを感じるあれを。
見ているだけでまるで魔法にでもかけられたかのように思ってしまうあれを。
だから、彼女が言うことが嘘ではないと思えるのもそのせいだろう。
「今思えば教団の計画だったんでしょうね。本来人を傷つけることのない私達を、傷つけさせるように無理やり旧世代の『魔王』の魔力に似たものを注ぎ込んで」
「…」
「人と愛し合う存在を以前の凶暴な存在に無理やり戻して関係を破たんさせる…何とも陰湿でいやらしいわ」
「…」
正直彼女の言葉はわからない。
何がどうで、どうなった?
勇者?旧世代?
魔王?
それはなんだ?
それで、どうした?
師匠が誘拐されたことはわかった。
そのあと唯ならないことが起きて、恐ろしい何かを注がれて。
それで、どうなった?
「あの子はね、以前はもっと綺麗な髪をしてたのよ。髪だけじゃなくてほかの部分も…それが…ようやく助け出した時は黒一色に染まっていたわ。自分自身の一番好きな部分だっ言ってた髪も、何もかもがね」
「…」
「無力だったわ。私たちは。魔を総べる王の娘ともあろう私たちが…たった一人も守れない」
「…」
「本当に…情けないわ」
そう言って顔を伏せた彼女はどのような表情を浮かべていたのかわからない。
しかし、体が小刻みに震えていたのはよくわかった。
とても、悔しそうに。
「それから何年も経ったけどね…あの子、旧世代の魔物のような本能が染みついていたわ。正気に戻すのに時間をかけて、ようやく戻ったと思ったら時折またそっちに戻っちゃうの」
それはつまりあの状態の師匠だろう。
傷つけたくないのに傷つけてしまう、それでさらに自己嫌悪をして塞ぎこんでしまう、今の状態。
「いくら魔界で暮らそうと、一度根付いたものはそう簡単には抜けてくれない。だからその時は私たちでなんとか抑え込んでいたの」
「…」
「あの子、昔から実力があったから…止めるのにも苦労したわ。でもそれ以上に正気に戻ってからが…」
その先を彼女は言わずに口を噤んだ。
言いたくないことだからだろう。
だがそれをオレはよく知っている。
あのひどい状態を目にしてきているし、相手にしてきている。
あの壊れそうで、儚く、独り佇む師匠を。
「あの子は…それが嫌だったんでしょうね。皆が自分のせいで傷つくのも、苦労を掛けるのも…だからあの子、自分から出て行ったのよ」
「…」
「旧世代の魔王の魔力、まるっきり同じものはないけど似たものに浸食されたなら魔力のない場所で暮らせばそれが抜けるかもしれない…だからあの子は私の紹介でここに来たの。一人で暮らして、誰にも迷惑かけないようにってね」
「…」
何とも師匠らしい。
他人に迷惑を掛けないようにと自分から一人になる。
自分一人で抱え込む姿はオレも目にしてきた師匠の姿。
それを見ているのがどれほど悲しいことか。
それを見ていることしかできないのはどれほどつらいことなのか。
「一人でいるのがどれほどつらいかわからないわけじゃないのに…自分だって一人になりたくなかったはずなのにね…本当にあの子は…」
「…」
彼女の言ったことがすべて事実ならば。
嘘をついている様子はなく、今まで口にしたことがすべて本当の事ならば。
師匠はここには住んでいなかったということになる。
そして、『魔界』という場所に住んでいたということになる。
魔界
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