ここは港町で一番大きな宿屋の一室。
あたしたち海で暮らす魔物も利用できるように室内まで特殊な水路が引いてある建物。
二階建てであり、部屋の数も多いのだが豪華な装飾はされていない質素な作りなのはおそらく水路にほとんど予算を使ったからだろう。
だからこそこの宿を利用するお客は沢山いるし、あたしだってこうして利用している。
だけど今まで海で暮らしていたあたしにとってここを利用する必要は本来ない。
ここにいるのはあたしのためではなく、彼のため。
以前あたしが海の中で気絶していたのを見つけて助けてあげた彼のため。
彼はどこにでもいる人間であり、シー・ビショップの儀式を受けていない普通の人である。
そんな彼のためだといっても当然ながら海中にあるあたしの家で看病なんてものはできない。
だからこそここにあたしと彼はいた。
部屋から海を見わたすことのできる大きなテラス、そこへ置かれた真っ白なテーブルと二つの椅子。
その片方にあたしは座り、もう片方、向かい合うようにしてあたしの目の前に彼はいた。
空の青さよりもこのテーブルの白さよりも、港町の様々な色よりもずっと目立ち目を引く黒髪黒目。
どちらも夜の闇を切り裂いたような黒一色。
同じ色の上下の服。
高価そうに輝く金色のボタンは一番上だけ空いていて下に着ているこれまた高価に思える真っ白な絹で出来ているような服が見える。
見たことあるはずの特徴なのに、今まで見たことのない服装。
黒崎ユウタ。
彼は一言で表すならば不思議というその言葉に尽きる男性だった。
ジパングの出身者と同じ特徴である黒い髪の毛、それと同じ色の目。
太陽の光も月の光も、全てを吸い込む闇のような瞳。
今までに遠くで何度も目にしてきたジパング人とは何かが違う。
決定的に何かが違った。
それが何かと聞かれればわからないとしか答えられないんだけど…。
―だけどもそれ以上に不思議なことが彼の常識だった。
この港町を歩けば感嘆の声を漏らし、街ゆく人々を見れば驚きに目を見開く。
中でも一番驚いたのが魔物の姿を見たとき。
マーメイド、スキュラ、シー・スライムなど水路を泳ぐ彼女たちを見かけるたびに目を丸くしている様子は見ていて面白いものがあった。
その中でも一番すごかったのは初めて出会って助けてあげたときのこと。
メロウであるあたしと、シー・ビショップであるセリーヌを見たときの驚き方がすごかった。
「…………え?ちょっと…え?何でその…えっと…え?人魚?」
何回もえ?を連発していたユウタはなんというか、初めて人間以外の存在を目にしたかのような驚き方だった。
目にしたことがないというよりもその存在を知らなかったというような。
知っていたとしても信じていなかったというような。
ユウタは今まで魔物を知らなかったのかしら?
人間と魔物が共に住む世界で…いや、考えたくないが魔物を嫌う教団もある。
でもその両方ともが魔物の存在を知っているし、目にしたことはなくとも知識はあるはず。
どんなに森の奥深くであろうとどんなに荒れ果てた大地であろうと、どんなに燃え盛る赤い山だろうと、そこに魔物は存在するのに。
教団の人間だと考えるにはあまりにも知識がなく、常識にかけている。
もしかしたら記憶喪失だろうかと考えたがどうもその線は薄い。
自分の名前を覚えているし、聞いたことがなかった名前だったが故郷を覚えていた。
知らないのはどうしてここにいるかということ。
どうやってここへ来たのかということ。
普通考えるなら嵐に揉まれて海に投げ出されたというのが可能性としてはある。
が、それが当てはまるのは普通の船乗りなどだ。
ユウタはあたしの目の前で、空から降ってきた。
嵐だったわけではないし、水平線に船影なんてものは見当たらなかった。
どうしてか、どうやってか、そんなのはあたしが聞きたいくらい。
ユウタは一体…?
それを考えるべきなのだろうけどあいにくあたしはそこまで考えを回せるわけではない。
それこそアヌビスのように賢いわけじゃないのだから。
でもあたしが気にすべきところはそこじゃない。
ユウタは他の人と違っている部分があった。
それはあたし、メロウが最も好きとしている猥談に平然と付き合えるということ。
大抵の人ならそんなもの聞くまでもなく引いてしまうような話でも彼は笑って付き合ってくれる。
それが普通だと言わんばかりに、いつもそうしていたかのように。
からから笑ってあたしの言葉に楽しそうに頷く。
ただそれだけでも嬉しい。
同じ魔物とはいえ付き合うことのできる相手は限られているのだし。
それが男性というのならなおのこと。
彼の笑み一つだけでとくんと胸を脈打たせては熱く疼く感情を奥から沸き立たせる。
こうやって何度も会話して何度もこの感覚
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