背徳なんか怖くない

 稲嶺 遼一郎は夢を見ていた。
 まだ彼が家族とともに暮らしていた時代、いろいろ苦しいこともあったが幸せだった時代の思い出を継ぎ接ぎしたような夢だった。
 可愛い、本当に可愛い自分の娘、幼い頼子と一緒に無心に遊ぶ夢はとても安らかで満ち足りたものであり、それだけに目覚めた後の寂寥感は並々ならぬものがあった。
 一人で寝るには大き過ぎるベッドの上で目覚めると、妻も子ももう居ない、何年も前に遼一郎を置いて出ていってしまい、今は大きな家を一人で持て余しているだけという、出来れば認めたくない現実があった。
 普段よりも30分ほど早く起きてしまい、思わず嘆息を吐く。
 また今日も、自分一人で味気ない朝食を摂り、嫌々会社へ出勤する一日が始まる。
 かつて、家族を養うために働いていた頃の英気は既に失われて久しく、またその仕事のために時間を費やしすぎ、結果として妻に捨てられたという過去が、彼の意欲を大いに削いだ。
 沈鬱な気分を抱えながら遼一郎は着替えて通勤に備える。護るものなしに生きることの虚しさは四十手前の独身男にとって酷く耐え難いものだった。
 今朝の夢に出てきた娘、頼子は今頃どんな女になっているだろうか。
 妻と別れた時以来会っていないせいか、夢の中で見た時にはまだまだ小さかったが、あれから長い時間が経った。女の子のこと、今もし会えたら、きっと見違えるほど綺麗に成長しているに違いない。記憶が正しければ、確か今年で高校生の筈だ。
 自分と別れた妻、どちらに似ているのだろうか。道を踏み外すこと無く、健やかに育てているだろうか。そんな物思いに耽っていると朝の時間は瞬く間に過ぎてしまう。
 胃に食べ物を詰め込み、身だしなみを整えて彼は渋々家を出た。

 仕事を終えて、待つ者も居ないがらんどうの家へ帰り着く。コートを脱いでネクタイを解き、買ってきた安いコンビニ弁当を温め直そうとしていると、不意に呼び鈴が鳴った。
 受話器を取ってみたが、ドアホン越しの訪問者は何も答えない。いたずらかとも思ったが、微かに聞こえる息遣い、抑えきれない含み笑いのような声がどこか気に掛かり、玄関の扉を開けた。
 一瞬、昔の妻が帰ってきたのかと錯覚した。
 くりくりして大きな、可愛い両目。いたずらっぽく釣り上がった口角。少し尖った、小さな唇。腰までの長さがある、綺麗な黒髪。名前を呼びかけて、ぎりぎりのところで思い留まった。
 初めて会った時よりもなお若い、妻によく似た制服少女。想像していた以上によく育っていた娘の名を呼ぶのに、何故か緊張を強いられた。

「……頼子。久しぶりだな」
「やっほ。遊びに来ちゃった。……入って、いい?」
「ああ、もちろん。ここは……ここも、頼子の家だからな」

 今、彼の眼の前に居る、今時の女子高生らしく発育の良い少女が幼かった頼子となかなか重ならず、遼一郎は下唇を噛んだ。
 居間に上がった頼子は置いてあったコンビニ弁当を見るや顔をしかめ、自分が料理をすると言い出した。遼一郎の遠慮も気にせず、冷蔵庫に残されていた食材でちょっとした夕飯を仕上げてしまった。

「さ、パパ。冷めない内に食べちゃおうよ。コンビニ弁当よりは、きっと美味しいと思うから」
「あ、ああ、頂く。ありがとうな……」

 寂しく虚しい日々に、突如現れた癒し。遼一郎は涙を堪えるのがやっとだった。

 感傷を悟られないように顔を上げ、立派に育った自分の娘を見る。
 頼子は、背こそ伸びたが手足や肩幅などはまだまだ未熟で、細くたおやかで如何にも少女らしい。
 でありながら、胸だけは大人を遥かに超えるほど大きく成長しており、セーラー服の下から激しく自己主張をしている。そんな彼女と会話するのは、相手が娘であると認識していてもなお、どこか慣れないものがある。
 温かい手料理で心満たされながら、彼は尋ねた。

「だが、どうしていきなり来たんだ? なにか相談でも、あるのか」
「んーん、そんな深刻なことじゃないよ。私、この近くの高校に通い始めたんだけど……なんか、景色が懐かしくって。パパに会いたくなってきちゃって」
「そうか。……母さんは、何も言わなかったのか?」
「うん。昔は、パパに近づくなとか、もし会いに来られたら逃げろとかうるさかったけど……今は全然。自分のレンアイに忙しいみたい」

 かつて愛した女が別の男とよろしくやっているという事実は遼一郎の心を微かに疼かせたが、それよりも母のことを語る頼子の寂しげな表情の方が気掛かりだった。
 もしかしたら、母親の男が彼女にストレスを与えているのかもしれない。この間まで中学生だった女の子にとって、見知らぬ大人の男が家族として自分に接触してくるような事態は、きっと耐え難いものだろう。
 相手の男にも、もしかしたら子供が居るかもしれない。母親が男や男の子の方ばか
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