幼い頃から、久野という男は神様のご加護を信じていた。
と言っても、彼はキリスト教徒でもイスラム教徒でもない。当然、怪しげな新興宗教の信徒でもない。特に一つの宗教に入れ込むことのない、一般的な日本人である。
そんな彼が何故神の存在を感じるかというと、その原因は実家の近く、樹齢何千年とも言われる大きな木を御神体として祀る古い神社にあった。
小学校に入る前ぐらいの頃からずっと、何か悩みを抱えている時、その神社に行っておみくじを引くといつも、的確な解決法が書かれてあったのだ。
何故か異性関係の悩みには真っ当な答えが帰って来なかったのだが、それ以外の、例えば学校生活や学業のことなど、様々な面でのサポートを受けていたのだ。
周りの人間に話を聞いてみると、神社のことは知っていてもおみくじのお告げがよく当たるなどと言っているものは一人もいなかった。家族に言ってみても、件の神社で予言や助言を賜ったことなど無いということだった。
神社の近くに住んでいる人間が知らないくらいだから、遠くに住んでいる人間はなおさらだろう。夏祭りや秋祭りのような行事も行われず、大きく古い樹以外に目立つ物の無い神社に、わざわざ遠くから訪れる者などいないからだ。
どうして自分にだけ神社は助言をくれるのか。彼自身には何も神社や神樹に貢献した覚えが無かったため、きっとご先祖様の誰かがいいことをしたのだろうと、それぐらいに考えていた。
無宗教とか無神論とか言われがちな日本人だが、少なくとも彼は、先祖の功徳と神樹の恵みを信じる程度には宗教的だった。
そんな訳でできるだけ長く地元に留まりたいと思っていた久野だが、大学を卒業し社会人になるとなかなか思い通りにはいかない。
今年入社した会社で、隣県にある支社、そこの社員寮に住み込んで働くよう命令されてしまったのだ。
神社から離れてしまうのは名残惜しかったが、だからといって職を辞するわけにもいかない。
会社の上司というものは、どうも聞くところによれば人間の屑みたいなのが少なくないらしい。
誰も聞いてもいない、そして非常に真偽の疑わしい自慢話や犯罪自慢、根拠の無い若者批判や、本来秘すべき自身の嗜虐性向や暴力性の逸話などを延々と嬉しげに語ったりする、実に鬱陶しくて惨めなおっさんが、もう掃いて捨てるほどいるらしい。
地元と神社を遠く離れてそんな中へ飛び込んでいかねばならない自分の境遇に憐れみすら覚える久野だったが、かといって無職でやっていけるはずもなく。
せめて、いつも自分を導いてくれた神に最後に縋りたくて、引越しの日が迫った時、彼は長年世話になった神樹に別れを告げると共に、新天地で上手くやっていくための助言を貰うべく神社へ赴いた。
都会から離れた場所にあり、交通のアクセスも悪いため久野のような地元民以外ほとんどこの神社には寄り付かない。現に、今日も境内には彼以外の参拝者がいなかった。
賽銭箱に小銭を投げ入れ、大きな鈴を鳴らした後におみくじを引く。いつもならば「失せ物」や「学業」の欄に色々と参考にできる言葉が載っているのだが、今回は様子が違った。
本来「吉」とか「大吉」とか書いてあるはずの欄は空白で、普段は具体的なアドバイスがあるはずの「学業」は「心配不要」とだけ書かれてある。「失せ物」は「もう何も探す必要は無い」、「待ち人」は「これ以上貴方を待たせはしない」という具合で、一般的なおみくじとはかけ離れた文言が羅列してあったのだ。
さすがにちょっと不気味に思った久野は、このおみくじをどこか適当に結びつけて、置いて帰る気分にはなれないでいた。
しかし、おみくじの内容が変だといって神社の人間にクレームを付けるのも憚られる。
どうしたものかと思案していると、賽銭箱の向こう、拝殿から一人の女性が現れた。
神社というロケーションに似つかわしい、白い小袖に緋袴を合わせた、いわゆる巫女装束をまとったその女性は久野の方へ歩み寄る。
腰まである長い黒髪が揺れて陽の光を反射しているのが、非常に艶かしかった。
「参拝の方ですね。おみくじをお引きになりましたか?」
「はい。これなんですが」
件の不審なおみくじを見せると、巫女姿の女性がみるみる表情を険しくする。元からちょっと釣り気味の大きな目と、少し細めだが形の良い眉が厳しい印象を作っていく。
色が白く鼻筋の通った、今時珍しいくらいの清楚系美人は、その服に見合った清冽な顔で言った。
「お客様。これは少し、問題かも知れません。よろしければ内の方で、お祓いをさせていただきたいのですが」
「何、そんなまずいことがあるのですか」
普通の神社でなら相手にもしなかっただろう申し出だが、幼い頃から何度も自分に正確なお告げを下してくれた神社である。気にしないで、忘れて帰る気に
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