魔腕戦記 〜呪われし右手〜

「こんな右腕さえ無ければ……俺も、もっと平穏な生活を送れたはずなのに……くそっ!」

 などと、まるで十代向けバトル小説の主人公の如きセリフを呟いてはみたものの、ロケーションが悪かった。ダンジョンの奥とか戦場とかならともかく、開店前の小さな本屋の戸棚の間で、どんなカッコつけたセリフを吐いてみたって無意味だ。
 訳もなく黄昏ていた俺の背後から声が掛かる。柔らかく、ちょっと間延びした感じの、持ち主の穏やかな気質を余すところ無く伝えるそれで、誰から呼ばれたのかを知る。

「すいませーん、ちょっと、荷物運び、手伝ってもらえませんかー」
「はい、今行きます」

 店内整理を中断して店の裏に引き返すと、一人の女性が出迎えてくれる。頭の両サイドから小さな角と大きな耳を生やしたその女性こそ、俺の雇い主にしてこの本屋の店長、フリシアさんである。
 ところどころ黒いメッシュの入った白い髪や、剛毛に覆われ蹄を備えた逞しい牛の脚、そして子供の頭ほどもありそうな、とても片手では支えきれなさそうな爆乳。これらの特徴が示すとおり、彼女はホルスタウロスである。
 人より際立って本に詳しいわけでもなく、荷物運びと店番と掃除くらいしか出来ない俺に少なからぬ給料を払ってくれている、とてもできた女の人なのだ。
 彼女の足元には雑誌や本の詰まった箱がある。恐らく先ほど入荷したばかりであるそれを、今から店に陳列するのだろう。
 紙製品というのは大きさの割にかなり重いものだが、さすがは魔物というべきか、フリシアさんはその腕の細さに反して結構力が強く、俺一人がちょっと手を貸せば大量の書籍類も運んでしまえる。しかし、だからといって気は抜けない。気を引き締め、フリシアさんと一緒に箱を持ち上げ、店舗の方へ持っていった。
 小さな店内の狭い通路を、大きな荷物を抱えて歩くということには常に危険がつきまとい、どんなに気をつけていても事故は起こりうる。細心の注意を払いつつ摺り足で進んでいると、果たして。

「ひゃあっ!」
「フリシアさん!」

 箱の向こうにいたフリシアさんが盛大に足を滑らせ、前へつんのめった。床に向かって前向きに倒れていく彼女の手から箱が離れ、酷く重いそれは俺の両手からも抜け落ち、店長の頭へ向かって落ちていく。思考するよりも早く、反射的に手を伸ばしていた。
 箱が床に落ちて鈍い音を立てる。間一髪で救助は間に合い、フリシアさんに怪我をさせずに済んだ。彼女の手を掴んでこちらへ引っ張るとき、力が強すぎたせいで体のバランスを崩し、二人して床へ倒れこむ結果になってしまったが、俺自身をクッションとすることでフリシアさんが傷つくという最悪の結果は免れた。背中がちょっと汚れて痛むくらい、この成果に比べれば何ほどのことでもない。

「大丈夫ですかフリシアさん!」
「は、はい、ありがとうございます。でも……」

 仰向けに寝た俺の上に覆いかぶさる体勢となったフリシアさんはひどく顔を赤らめている。それを見て、俺は自分の右手で彼女の大きな乳房を掴んでしまっていることに気づいた。
 女性の魅力というものに満ち溢れた魔物娘たちの中でも一際大きなホルスタウロスのおっぱいは、それを収めるブラジャーを持たない。小さめのタンクトップの下、斑模様の布をパツンパツンに膨らませている肉塊を、あろうことか鷲掴みにしてしまっていたのだ。

「うわっ、す、すいません!」
「やっ、あの、そ、そんな、激し……」

 慌てて手を離そうとしたが、床とフリシアさんに挟まれる形になっていて思うように身動きが取れない。動転して腕を動かすとますます指がホルスタウロス特有の爆乳に食い込み、その甘美な柔らかさを伝えてくる。ラッキーだなんて喜んではいられない。勃起してしまう前にフリシアさんから離れなければ、と思ってもがいてみても、事態は好転しない。

「ひ、やっ……あ、う、これ、激し……!」
「うあああ、すいませんすいませんすいません!」

 目をトロンとさせ、吐く息に熱く濡れたものを交え始めたフリシアさんを見て、俺は一刻の猶予も無いことを悟った。

「(この力があるからっ……! こんなチカラがあるから、俺は平穏に暮らせないんだっ……!)」

 などと、中二病っぽく呟いている暇は無い。全力をもってフリシアさんを引き剥がし、上体を起こして素早く距離を取る。どういうわけか若干不満気な彼女を立たせ、床に落ちた箱を検分した。

「……良かった。中の本に傷は無いみたいです、店長」
「……むー。そうですかー」

 さっき二人で折り重なっていた時とは裏腹にどこか不機嫌なフリシアさんと二人、本の陳列作業へ戻った。
 ちょっと気まずい空気の中、考えるのは「力」のこと。
 多くの男性諸君に羨まれるであろう力だが、俺はこいつに随分振り回されてきた。
 その力は
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