渇望

 学校が終わった後、ゲーセンやら買い食いやら本屋の立ち読みやらで家に帰るまで散々時間を潰していく同級生は少なくないらしいが、なぜ彼らはそうまでして帰宅したくないのだろうか。
 待っていてくれる人が誰も居ない家というものは、そんなにも居心地の悪いものなのだろうか。あるいは、できるだけ顔を合わせたくない相手が家にいるのだろうか。
 いずれにしてもおれには縁の無い話だな、などと、ちょっとした用事を済ませた後の昼休み、教室で自分の机に座ってつらつらと考えてみても、昼食というものをあまり必要としないおれにとって一時間という真昼の空白はもて余しがちだ。
 家にいる間の時間は瞬く間に飛び去ってしまうというのに、一人で外へ出てしまうと次に帰宅するまでが恐ろしく長い。
 ついこの間の球技大会以来、帰宅部員のおれを何とか引きこもうと運動部員、特に団体競技に勤しむ者たちが勧誘にやってくることもあって、そんな時にはこの無聊もわずかに紛れるのだが、今日に限ってはそれも無い。来る人来る人全員に何故運動部へ入らないのかと問われ、その度に、「集団行動というものが性に合わない。誰かに命令されるのもするのも嫌いだ」と返答していたせいかもしれない。
 9割の真実を含んだフレーズは熱心なスポーツ青年たちの間に素早く広まり、昨日などは剣道部など個人競技を行うクラブの者たちが勧誘にやってきたが、何をやっていようと運動部だという時点で先輩後輩のしがらみや休日にまで及ぶ拘束などから無縁ではいられない。そのことを当の武道部員たちも重々承知してくれていたため、説得するのは容易かった。
 この学校の文化部が全体的に不活発で、新入部員獲得に熱心でないのは、おれにとって幸運なことだった。

 そんな、ただただひたすら退屈な学校生活を終えて放課後。おれはいつもどおり真っ直ぐ家路についた。
 朝から夕方まで姉さんのことばかり考え通しで、他の人間との関わりに興味を持てなくなってきている自分を認識して、

「これはやばい。今のおれには社会性というものが全く無いぞ。世の中がおれみたいな人間ばっかりになったら、きっと世の破滅だ。なるほど近親相姦がタブー扱いされるわけだよ」

なんて考えたりしたのも昔のこと。今のおれはシスコンであることに何の躊躇も無い。
 自宅へ帰り着き通学カバンを自室に置いて手早く着替え、足早に部屋を出る。向かうのは廊下の反対側、愛しい恋人にして実の姉、千草姉さんの部屋だ。
 軽く声を掛けると同時に扉を開けると、やはりいつもどおり黒衣をまとった姉さんが眼前、ベッドの上に腰掛けておれを待っていた。

「おかえりなさい。今日もちゃんと、寄り道しないで帰ってきたわね」
「ん。早く、千草ねえに会いたくてな」

嘘偽りの無い心情を述べると姉さんは優しく微笑んでくれる。姉さんにおれ自身をまた味わってもらうため、絨毯の敷かれた床へ膝を付き、首を反らして喉を晒した。
 身長の割に座高の低いおれは、この体勢を取ることでベッドの上の姉さんと丁度同じくらいの高さまで目線を下げられる。完全に調教されきった感じの行いにどこまでも満足げな姉さんは、真っ赤な唇を薄く開き、おれの首筋、太い総頸動脈が走っている辺りにキスしてきた。
 瞬間、皮膚から神経へ走る疼痛。表皮が穿たれ血管に亀裂が生じる、その感覚がおれの脳を快楽で満たす。太い動脈に食い込む鋭い牙は、人間のものとするにはあまりに獰猛で。
 おれの首から流れでた血液は空気に触れることも、滴り落ちて姉さんの部屋を汚すことも無い。全ておれの実の姉が飲み干してしまっているからだ。こくんこくんと肌から肌へ伝わる小さな嚥下音や微かに上下し動く白い喉からそれは知れる。

 姉さんは吸血鬼なのだ。

 一体それがいつのことだったのか、あまり良く覚えていない。
 かつては姉さんも、弟たるおれと同じく日本人らしい黒髪と黒い瞳を持っていたはずである。その頃の曖昧な記憶は無いでもないが、しかし今の、月光のように儚く繊細な金髪や、夕焼けのように赤く不穏な瞳が余りにも美しすぎて余りにも似つかわしすぎて、吸血鬼でなかった頃の姉さんを思い出すのは容易ではない。
 昔から、姉さんには結構可愛がってもらっていたように思う。が、姉弟という関係を超えて愛しあうようになったのは、姉さんが人間を辞めてこうなってからだ。おそらくそこには何らかの因果関係が存在するのだろうが、詳しいことはよく分からないし知ったところで別に大した意味も無いだろう。重要なのは今、おれ達が人間より遥かに優れた存在であるということだ。
 そんな思考も、姉さんに血を吸って貰えるという極上の快楽に塗りつぶされていく。
 人の血管の中でもかなり太い部類に入る総頸動脈に穴が空いているため、失われる血量も少なくはない。しかし自分の身体から
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