刺青奇譚

 ジパングの東、この国で最も大きな都に、紋次郎という男が住んでいた。
 彼は刺青師であった。人間の肌に針で傷をつけ、そこに染料を流しこんで半永久的に消えない図柄を描くことで、生計を立てていたのだ。
 職人としての紋次郎の腕はジパング一といって良いほどであり、刺青を入れるのに彼を特に指名してきたり、隣の国からやって来てまで、何ヶ月もの激痛に耐えてまで紋次郎に自らの身体を彩ってもらおうという人間が後を絶たなかった。
 ジパング影の支配者、必要以上の装飾を好まない、人間をそのままに愛する事のできる魔物娘たちの中には、健康な肌に敢えて傷を作る刺青という装飾のことを快く思わないものも多かったが、紋次郎の描き出す図案の精緻さや、平らな紙などではない、凹凸や歪みに富んだ人体の上に大きな絵画を写しとってみせる技術、何より血の通う肉の上でまるで一個の生き物のように蠢き、今にもひとりでに踊り出すかと思われるほどの活き活きした、それでいてどこか不気味で魔術的な芸術は人魔問わず、多くの者を惹きつけてやまなかった。
 こういう例がある。
 ある時紋次郎は一人の男から刺青を彫るよう依頼された。
 天候を支配し人間を慈しむ偉大なる龍、それに仕える白蛇を己の身体に描いて欲しいという話で、それだけなら別にどうということの無い、いつもの仕事なのだが、その描く白蛇は実在する魔物娘、それも依頼人の妻だったのだ。
 魔物娘を娶った男が家内の絵を彫ってもらいたがるなど、そうある話ではない。若者がふざけ半分に恋人の名前を身体に彫り込むようなものとは、また訳が違うのだ。紋次郎が詳しく話を聞いてみると、男は語り出した。

「……あんたは、わざわざ自分の嫁さんの絵を、体に彫ろうってのか? 一体、どうして?」
「はい。ぜひ、お願いしたいんです。できるだけこいつそっくりの絵を、本物と見分けがつかないくらいの絵を、刺青にしていただきたいんです」
「別にそれぐらい、わけはねえが」

 その生業故、ヤクザやゴロツキのような反社会的な者たちとの付き合いも少なくなかった紋次郎だが、流石にこの時は驚いた。

「しかしなあ。わざわざ彫らなくたって、嫁さんならいつでも顔合わせられるんじゃねえのか」
「それがそうでもないんですよ」

 こちらに向き直った男の顔には、それなりに世間の裏というものを見てきた紋次郎すらたじろがせる、一種異様な色があった。

「こいつは白蛇ですから、龍様に仕えております。一日中一緒ってわけには、いかないんで。
 でも私は……こいつに見初められて、旦那になって以来、こいつなしには生きられないようになっちまったんで。こいつの、蛇の体に巻きつかれてねえと、落ち着かねえんで」
「で、せめて刺青に縛られたいってのか?」
「はい。紋次郎さんの作品を見たことがあるんですが、あれは本当に素晴らしかった……まるで、生きているみたいで。一人で居ても、喩え単なる絵でも、あんなに活き活きしたやつが一緒なら、きっと寂しくねえだろうって……」
「……事情は分かったが。旦那さんの方はいいとして、奥さんはどうなんだい。亭主の言うことに、反対じゃねえのかい」
「はい。私、結構独占欲の強い方なんです。
 私のいない時でも、この人が私のことだけ思っていてくれるなら……願ってもない事です」

 赤い瞳が妖しく揺らめいて、彼女の本気を証明する。そこまで言うならと、紋次郎は精魂込めて、足先から胸のあたりまで男の体に巻き付いて絡めとる大きな白蛇の絵を彫ってやった。
 普通蛇の図案を刺青にするときには、絵の蛇に絞め殺されないよう何処か目立たないところにわざと途切れる箇所を作っておくものだが、依頼が依頼なので、この時ばかりはその慣習も無視した。
 長い期間の痛みに耐えて、ついに絵の女と実在の女、両方に締め上げられるに至ったその客は、完成の時どこまでも幸福そうな顔でいた。
 それ以来彼と紋次郎は顔を合わせていない。
 自分を絞めつけてくれる刺青を彫ってくれという、世にも奇妙な依頼に答えたことで紋次郎の名声は更に高まったが、果たして客がそれを知っているのかどうか、彼には確証が無かった。仕える龍の住むという国へと帰っていったあの夫婦が幸せでいるよう、願うことしか出来なかった。
 
 しかも、話はここで終わらなかった。
 彼の彫った白蛇絵を、どのようにして眼にしたのかは分からないが、件の男が帰っていった国、そこの金持ちから、是非自分にもあのような刺青を入れてくれという依頼が舞い込んだのである。
 馬に乗っても5日は掛かる遠い町から、わざわざご指名。旅費は全部客の方で持つから是非に、と乞われて紋次郎は二つ返事で引き受けた。
 多額の出費や面倒を厭わず、特に自分を指名してもらえることを、彼は職人としてこの上ない名誉だと思っていた。
 
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