稲荷の嫁入り

 ジパングのある所に、清延という商人がいた。
 丁稚十年、手代十年の計二十年を勤め上げ、数年前に暖簾分けを許された、若いながらも一国一城の主と言える男である。
 その清延には、朝晩欠かす事のできない大好物があった。油揚げである。
 小さな頃からほとんど毎日食べているというのに、一向に飽きが来ない。饂飩やら蕎麦やらに入れて楽しむこともあったが、大抵の場合は単体のおかずとして、毎食一枚は食べていた。
 それだけならばまあまだ普通の事と言えるのだが、清延にはもうひとつ変わったところがあった。
 彼は自分の食べる油揚げを自分で選ばなければ気が済まないらしく、直々に豆腐屋に出向いては宴会でも開くのかという程の量を買って帰るのだが、その時必ず、街の外れにある稲荷神の小さな社に油揚げを一枚供えていくのだ。
 清延曰く、「油揚げの好きな奴に悪い奴は居ねえ。神さんなら尚更よ」とのことだが、実際自分が丁稚時代の厳しい生活を耐え抜き、自分の店を構えることができたのも、商売繁盛を司る稲荷神の御利益あっての事だと考えていたのだった。

 さて、その清延が、一日の仕事を終え自分の部屋へ戻り一息付いていた頃。今夜はたまたま使用人が皆出払っており、この家には自分独りだった筈が、俄に階下が騒がしくなった。
 男数人の、怒声と物音。いつもより厳重に戸締りをしたはずだが、と階段の上から下を伺うと、果たして人相の悪い男たちが、扉を押し破って侵入してくるところだった。押し込み強盗である。
 独力で、武装しているであろうならず者複数を撃退できる当ては、清延には全く無い。どうにかして番屋に知らせねば、と思うも、なんと窓の下、表と裏口にも見張りが居るようだった。
 一階を素早く物色し終えて、盗賊たちは二階へ上がってきた。なんとかやり過ごそうと隠れてはみたものの、どうやら賊は店主の清延を探しているようで、あらゆる部屋の戸を開けては、物陰を探っている。恐らく売上金を仕舞った金庫の場所と開け方を吐かせようとしているのだな、と清延は怯えながらも推測した。

 時を待たず、清延は盗賊一味に捕らえられ、手足を荒縄で拘束されてしまった。頭らしい男が刀を清延の首筋に突きつけ、恫喝する。

「……俺らかて、畜生働きは出来ればやりたくねえ。この家に溜め込んだ金、残らず俺らに引き渡せば命は勘弁してやる。分かってんだろ?」
「……」

 清延としても、金で命が助かるならそうしたい。しかし清延の店は近々大口の取り引きを行う予定であり、そう易々と金を諦めるわけにもいかないのだった。
 取り引き一回がお釈迦になるだけならまだしも、それで信用を失ってしまっては今後の商いに影響が出るかもしれない。人の下で働いていた嘗てとは違って、彼の肩には店で働く使用人たちの命運も掛かっている。どうにか逃げ出して、番屋に通報できないか、と抗う清延を見て、盗賊の頭は口角を釣り上げた。

「……時間も迫ってるしな。腕の一本でも貰えば、店主殿も聞き分け良くなるだろうよ。お前、やってやれ」
「!!」

 言葉を受け、背後に立っていた賊の一人が刀を振りかぶるのを清延は感じた。全身が総毛立ち、背筋に冷たいものが走る。絶望しかけた瞬間、

「その御方に触れるな、外道ども……」

 夜気より冷たい怒気と神気を孕んだ声が、店に響いた。
 盗賊たちが、声の放たれた方へ振り返り、驚きに声を失う。清延も遅れて、声を発したと思われるその女を見て、肝を潰した。
 薄紫の着物を纏った、眼を見張るほどの美人がそこにいた。いや美『人』と呼ぶのは不適切かもしれない。彼女の頭の上にピンと立つ一対の狐耳と、尻の辺りから生えているらしい、薄い焦げ茶色をした五本の尻尾は、その女が人間でないことを示すに余りある。
 異形の麗人は、しかしその顔を憤怒に歪ませていた。もともと吊り気味らしい切れ長の目は一層眦を鋭くし、形の良い、薄桃色をした唇の間からは肉食獣の如き犬歯が垣間見える。清延たちの方へ一歩足を進め、女は言った。

「今すぐ、清延様の縛めを解いてここから立ち去れ。そうすれば命までは取らぬ」

 得物を持った賊に向かって傲岸とすら言える言葉を放つこの女に、清延は見覚えが全く無かった。使用人の中にも、昔の奉公先にも、こんな美女は居なかったはずだ、いたとしたら印象に残らないわけが無い、と。

「何だてめえ!ここのもんか!?」
「立ち去れ、と言っているのが分からぬか?人相だけでなく頭も悪いとはな」

 明らかな挑発に、盗賊たちが色めき立つ。清延を囲っていた賊たちが、刀を構えて女に突進する。しかし、女は身じろぎもせず、ただ呟く。

「くくっ、我に勝てると思うてか?」

 瞬間、女の手から轟音と共に稲光が走る。狙い違わず雷撃は狼藉者を撃ち、突っ込んだ者たちは一人残らず床に倒れ伏
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