触手の森。
魔界の瘴気と魔力を栄養として、まるで環形動物のように這いずりまわって蠢く触手植物たちが群生する魔界の森林地帯。
その中心部、性に奔放で精力絶倫な魔物娘たちですら怖がって近づこうとしない場所。陽の光も満足に届かない深奥部に、一人の少女がいた。
凝縮された魔力の霧が常に充満する地に住んでいるのだから、無論人間ではありえない。白いエプロンドレスをまとった少女は、アリスと呼ばれる種だった。
しかし、呼ばれるというフレーズは不正確だろう。魔界の生き物たるサキュバスですらも寄り付かないその地に、彼女以外の意志ある者、名前を呼べる者など存在しないからだ。
彼女が一体何処からやってきたのか、なんという名前の両親から生まれたのか、何故このような魔境で一人ぼっちなのか、知る人は誰もいない。彼女自身も、自分の生い立ちや境遇については全く理解していなかった。
いつ建てられたのかも分からない古びた掘っ立て小屋に住まう彼女は、自分の名前どころか、果たしてそれが存在するのか、あるいは初めから名前などつけられていないのかということすら知らない。
そんな、絶対的に世界から断絶した少女は、しかし寂しさを感じることはなかった。彼女には、ちゃんと日々触れ合う相手がいたのだ。
生い茂った木々の枝葉、分厚い林冠に阻まれた薄暗い森の奥にも、朝は等しくやって来る。小屋の中で眼を覚ました彼女は、小さな体で伸びをすると、家の裏手へ出た。
そこには地下水の湧き出る泉がある。何者かによって深く掘り下げられた大穴は、原始的ながらも井戸としての役目を立派に果たす。
魔力をふんだんに含んだ、見た目だけは綺麗な湧き水で顔を洗うと、少女は軒下においてあったジョウロを取った。
人間で例えるなら10歳になるかならないか、幼く華奢な腕でちょっと大きめのジョウロを頑張って抱え、水を汲む。七分目ほどにまで水を満たすと、少女は水を入れたことでずいぶん重くなったそれを抱えて、えっちらおっちら歩いていった。
少女の家から徒歩ですぐ。森の中心部の、そのまた中心。他と比べても際立って触手植物の繁茂する箇所があった。
無防備な人間など言うに及ばず、武装した女聖騎士や加護を受けた主神教シスターですらも一分立たずに魔物化させてしまうであろう、見るからに貪欲な触手達。一本でも始末に困るそんな奴が、数えきれないくらい生い茂り、うねり、地面いっぱいに広がり跋扈している。
余りにおどろおどろしい光景を物ともせず、少女はジョウロを抱えて歩み寄る。触手たちも、何故か彼女を襲おうとはしない。脳も魂も持たない植物たちに、幼い女の子を愛でる心などありはしないはずなのに。
「はい、今日のお水だよ」
自分に相対しているものが一体どういうものなのか全く理解しないまま、少女はジョウロを傾けて周辺の蔓に水をやる。森の何処かにノームやウンディーネでも住んでいるのだろうか、高濃度の魔力が凝縮された地下水は植物にとってもまた美味なものらしく、降り注ぐ恵みの雨を浴びて、どこか満足気に蠢く。
触手全体の量からしてみれば、少女の運んでくる水などたかが知れている。それでも、触手たちは毎朝水をやりにきてくれるこの少女を愛し、歓迎する。
表面を潤されたことに反応してか、地面を這っていた細長い触手の一本が立ち上がり、先を曲げて端を彼女の顔に向けた。蛇が鎌首をもたげたような姿勢のそれに、アリスは微笑みかける。
「ありがとうって、言ってくれてるの?
ふふ。いいんだよ。わたしも、触手さんたちと一緒にいるの、楽しいから」
ストレートに放たれる親愛の言葉に、触手たちはウネウネ揺れて喜ぶ。言葉は一方通行だけれども、確かにそこにはコミュニケイションが存在していた。
毎日そんなやり取りを続けて、約一月経った頃。
いつものように水を汲んで触手たちを湿した少女は、何かいつもと違う雰囲気に気がついた。
ジョウロを空にしてもなお、触手たちが落ち着かない。ヌルヌル蠕動しては、頻りに少女にまとわりつき、身を寄せようとする。
不審を覚えた少女は、身を翻してその場を逃れようとしたが、叶わなかった。
背後から、見たこともないほど大量の触手が迫ってきていたのだ。
波か、あるいは壁にも見えるほどに殺到してくる触手植物。太い蔦が後から後から、彼女の矮躯を狙ってうねり来ているということは、性に無知な彼女にも理解できた。
「ひっ……」
慌てて逃げようとした所で、両脚を絡めとられた少女は敢え無く転倒した。倒れたところにも触手が這いまわっており、打撲は避けられたもののそのまま身体を拘束されてしまった。
細い手足に、生物的な触手が絡みつき動きを封じる。今のところ処女である少女は、醜い筋を浮かべたそれが一体何に酷似しているのか分からな
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