輝ける白き月の下で

 自分の腕一本で身を立てている人間なら誰でも、スランプに陥る可能性は持っている。そこから這い上がれるか否かは、自分の力だけでなく回りにいる人間の質も重要となる。
 その点、怪奇小説家のギルマンは他の同業者と比べて非常に恵まれていたと言って良いだろう。

 夏の終わりも近づいた月。彼は書き下ろし長編小説一本の仕事を受けていた。
 それ自体はこれといって特別なことも無いことなのだが、その直後から彼はそれまでの作家人生で最大の不調に陥ってしまった。
 長いこと仕事に手を付けられず一向に進まない筆と真っ白い原稿用紙の前で頭を抱えていたギルマンは、とある日に担当編集者からの訪問を受けた。
 その編集者は、ギルマンに書き下ろしの長編をやらないか、と持ちかけてきた張本人である。今の不調についても文句を言うでもなく催促もせず、出来る限り取材に協力してくれる、とても出来た人だった。
 そんな人だから、ギルマンの方もできるだけ彼の好意に報いたいと考えている。それ故にいっそう書けない焦りが加速してしまうのだが、焦れば焦る程消耗するだけで作業が進まないわけで。
 申し訳ない思いで一杯になりながら来訪者を居間へと迎え入れ、まず原稿の進み具合について詫びる。気にするな、と豪快に笑ってみせた編集者が次に発した言葉は、意外なものだった。

「ギルマンさん。一つ、提案があるんです。
 実は私の親戚で、地方の旅館を経営してる者が居るんですがね。どうも不景気で、もうめっきり客が少なくなってしまっているんですよ」
「ほほう。どこも大変なんですなあ」
「海沿いの街なんですが、もともと大して観光資源の豊富な場所じゃありませんからね。今みたいにシーズン外してしまうと、もう空き部屋ばっかりなんですよ」
「その旅館が、どうしました?」
「ギルマンさん。都会では書けないって言うなら、ここはいっそ転地療法してみたらいかがです。
 私も一度行ったことがあるんですけどね。ちょっと保守的ですけれど、なかなか良い所ですよ」

 彼の提案をまとめると、こうである。
 編集者の親戚、旅館経営者は遠のく客足と埋まらない部屋に苦悶していた。
 そんな折、親戚の男(つまり今訪れた編集者だ)が出版社でとある幻想小説家を担当していると聞いた。
 その作家が不調に苦しんでいると聞き、経営者は閃いた。都会で不作に悩んでいる作家先生を、この何も無い田舎に呼んでみようと。
 どうせ部屋は余ってるんだから、料金はタダ同然でいい。文化人を世話してやれば、何かの拍子で名前が売れるかも知れないし、そこで書いてもらった小説が売れれば、熱狂的なファンが巡礼にやってきて金を落とすかもしれない。
 件の作家は若い読者が多く付いているとも聞くし、ダメで元々、ここは一つ話しをしてみようと思ったと、そういうことらしい。

「しかしいいんですか。タダ同然で、なんて」
「気にしないで下さい。さっきも言いましたが、どうせ空いている部屋なんです。先方としては、あの街を小説のメインに取り上げて欲しいんでしょうが……強制するつもりはありません。何を書くかは勿論、ギルマンさんに任せますよ。
 取材も兼ねて、一つ旅立ってみてはどうです」

 彼としても、自宅に篭りきりの毎日に少なからず閉塞感を覚えていたところである。馴染みの編集者の親切な申し出を、断る理由など無かった。



 そういうわけで数日後。ギルマンは件の、海岸沿いの村に降り立った。
 元住んでいた街から、たっぷり3日ほど掛けて辿り着いた僻地。なるほど編集者が保守的と言っていた通り、街路に魔物の姿は見られない。
 見た所、行き交う人々の平均年齢も高めだ。客が来ないというのも頷ける。
 如何にも寂れた漁村といった風景だが、ギルマンはそこそこ気に入った。都市よりも静かで、執筆に集中できそうな感じが作家としては大いに好ましかったのだ。

 旅館に到着すると、もう夕方。話を持ってきたという編集者の親戚らしき老人と、その妻らしき老夫婦が玄関先まで出迎えてくれた。

「ようこそ、いらっしゃいませ。何も無いところですが、ゆっくりして行って下さいね」
「長旅で、お疲れでしょう。すぐにお部屋へ案内いたします」
「ありがとうございます。これからしばらく、お世話になります」

 客商売の鑑というべき人当たりの良さを発揮する夫婦に導かれ、ギルマンは上機嫌で自室へ向かった。
 その日の夕食。自室に運んでもらった、近くの海で獲れたという魚介類をふんだんに使った料理を楽しんだギルマンは、食事の片付けをしている女将に話しかけた。

「いやあ、美味しかったです。ご馳走様です」
「ありがとうございます。お食事は、毎回お部屋にお持ちすればよろしいのですね?」
「ええ、お願いします。お風呂は何時ぐらいまで使えますか?」
「日が
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