辻斬り千春

買い物に出ていたお華は普段見ることのない光景を見ている。いつもであれば、人通りこそそれなりの通りに人だかりが出来ている。その中心には立看板があるらしく、皆、それを見ながらやいのやいのと騒いでいる。お華は立看板の内容が気になったが、いかんせん人だかりのため見ることは叶わなかった。どうにか隙間からでも見れないものかとうろちょろしているお華であったが、それもいかんともし難い。特別気にかけるような内容なら、後でも分かるだろうと考えて人だかりから離れたお華に男が声をかけた。

「お、先生の奥さんじゃないですか」
「あら、こんにちは」

この男は弥彦の剣術道場に通っている一人である。

「奥さん、先生は問題ないと思いますが奥さんは気をつけてくださいよ?」

男は立看板の方に向き、指差しなから言った。

「いえ、あの立看板の内容は存じていないのですよ」
「そうなんですかい。これは失礼。で、立看板にはですね…」



「辻斬りか…」

弥彦は夕飯を食べながらお華の話を聞いていた。
夕飯は深川めし、蛸と若布の酢の物である。深川めしとは、だし汁に味噌、醤油、酒、生姜を加えて味を調えたものへ浅蜊や青柳といった貝類、葱等の野菜を入れて煮立て、これを飯にぶっかけた物である。米と一緒に炊き込んだ物も深川めしと呼ばれているが、飯に貝と野菜、煮汁を掛けた物の方が主流と言えようか。
貝の旨味と野菜の甘味が味噌仕立ての汁に溶け込んでいるため飯に良く合い、ぶっかけ飯であるためさらさらと食べられる。

「そうなのでございます…弥彦様、その様に急いで食べるとお腹に悪いですよ」
「旨いのだから仕方があるまい」
「まったく、もう…」

緊張感の足りない弥彦に少し呆れたお華だったが、旨そうに深川めしを掻き込む弥彦を見ると嬉しそうに微笑んだ。そして、空になった二人分の食器を片付けると弥彦が茶を入れて待っている卓に着いた。

「さて、話の続きを聞こう」

弥彦は茶を一口啜るとお華に話を促した。先程とは違い、一言一句聞き漏らすまいとする姿勢が見てとれる、

「はい。なんでも、寄越してきた刀を受け取ると問答無用で斬りかかってくるという話で、ちょっとした騒ぎになっております」
「ふむ…随分と変わった辻斬りだ。それで、襲われた人は?」
「なんでも、斬られたはずが傷一つ無いのだとか…おそらくは魔界の金属で出来た刀なのでしょう」

お華はそう話したが、弥彦の脳裏には一人の女の姿が浮かんだ。それは、かつて弥彦と相対した女剣客であった。だが、確証を得ない考えのため、ついぞ言い出すことはなかった。

「お華、相手はどんな奴か分からぬがよく気を付けてくれ」
「はい、勿論でございます。家でも外でもお側に置いていただければ、このお華がどんな凶刃からも弥彦様をお守りいたします!」

胸を反らして自信満々に言い放つお華に、何とも言えない苦笑いを浮かべる弥彦であった。



件の辻斬りが相変わらず市井を騒がせているなか、弥彦とお華は稲荷亭から部屋への帰路に着いていた。弥彦を守ると豪語したものの、わざわざ危険に晒させる必要はないと考えているお華は不要な外出を拒んだが、珍しく頑として譲らない弥彦に折れてしまった。そして、当の弥彦はと言うと、何の考えも無しに言い出した訳ではなく、ある種の確信めいた物がそうさせていた。
弥彦にとって得物の刀は問題ではなかったが、辻斬りが行われている場所が問題なのであった。なにせ、その場所はかつて弥彦がかの女剣客千春に敗れた橋であるからだ。

(あの女剣客であれば某が相手をせねばこの騒ぎは治まらぬであろうし、そうでないのであればそのとき時はその時だ)



暮れ六つに差し掛かろうとした頃、弥彦とお華は件の橋を渡ろうとしていた。

「何もこのような危ない橋を使わずとも…」
「少し思う所があってな…」
「この事になると本当に譲らないのですね…さ、早く帰りましょう」

弥彦の着物の袖をぐいぐいと引くお華に引き摺られる形でついていく弥彦であったが、薄闇の向こうから誰かが駆けてくる音を聴くと、ばっと前に出てお華を庇った。じっと目を凝らして窺っていると何やら男が息急き切ってやって来る。疲れが極まったのか、人に会った安心からか、男は足を縺れさせて弥彦達の前でころばった。

「おい、大丈夫か!?」
「で、出たんだ…」
「もしや、辻斬りか?」

弥彦の問いに、息を切らせた男はがくがくと頷いて答えた。

「あんたらも早いとこ逃げな!直に来る!」

男はそう言い残すと、時折転びそうになりながら駆け出した。暫し呆けていた二人であったが、はっとしたお華が弥彦の袖を手を引いた。

「まだ間に合うやもしれません。引き返しましょう!」

しかし、弥彦がそれに答えることはなかった。硬く強張った顔は正面だけを見据えて
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