夜の帳の降りきった町は、草木さえも眠りに着いたかのような静けさを湛えている。そんな闇夜を影が走り抜ける。魑魅魍魎か夜の町を跳梁跋扈する物盗りか。影はある大店の門前に辿り着くと怪鳥の如く飛び上がり、音も無く門の向こうへ着地した。眼前には男の後ろ姿。影は腰に差した短刀をするりと抜くと、口元に手を当てて欠伸をするその無防備な背中に突き立てた。
「ぐぅ…」
影が素早く短刀を引き抜くと、男はそう短く呻いて昏倒した。篝火が影を照らし出す。影の正体はクノイチであった。短刀を鞘に納め、後ろ手に纏められた髪が揺れると、クノイチは疾風の如く走り出した。向かう先にはこの大店の蔵がある。蔵が見えた所でクノイチは物陰に身を隠した。蔵の入り口には見張りが二人。そして、蔵の屋根の上には黒い装束を纏った男が一人。クノイチと男は互いを視認すると一つ頷き合う。
そして、男が刀を抜いて屋根から飛び降りると同時にクノイチは懐から取り出した手裏剣を投げ放った。見張りの一人が相方の後ろに怪しげな男が現れた事を伝えようとした瞬間、手裏剣が飛来して意識を刈り取った。
クノイチと黒い装束の男は合流すると、互いにしか聞こえない小さな声で話し出した。
「万事、抜かり無いか?」
「ええ、計画通りよ」
「よし」
男は頷くと、懐から鍵を取り出した。この大店に放った間者に鍵の型を取らせていたのだ。
鍵を差し込んで捻ると、かちゃりと音を立てて錠が外れた。クノイチと男は滑り込む様に蔵の中に入ると、幾つかの千両箱を持ち出した。
「よくもこれだけの金子を市井の民から掠め取れたものだ…」
「そうね。これは近々暗殺が必要かしら」
「そうだな。その前にこの金子を市井に返さねば」
二人は再び宵闇に消えて行った。
場所は変わって、火付け盗賊改めの頭の私宅。そこで頭と同心が何やら話し合っている。
「して、隣町の大店に出た盗人の目星は付いたか?」
「へい、お頭。見張りに着いていた雇われの破落戸共は切られたと言っておりやしたが、殺しはありやせんでした。しかも、あの大店はなかなか悪どいことをしていたそうで、恐らくは…」
「やはり、乱波衆か」
「そうかと…」
乱波衆とはこの頃ジパング全土で動きを活発にしている忍びの集団である。法を掻い潜って市井の民から金子を掠め取る者がいれば、そこから金子を盗み出して市井へ流す。そんな義賊紛いの盗人かと思えば、国に禁じられている舶来の怪しげな薬を密かに扱う商人を見つけ出しては火付け盗賊改めに告げるし、果てには暗殺さえもこなすという盗人なのか国の間者なのかはっきりしない者達だ。
そして、この火付け盗賊改めの頭は乱波衆の捕縛に心血を注ぐ一人であった。頭は煙管を一息吸って紫煙を吐き出すと同心に言った。
「奴等、次はこの町に来るやもしれん。何か所の破落戸どもに動きがないか調べてこい」
頭はそう言うと幾らか金子を包んで同心に持たせた。
「では、任せたぞ」
「へい」
同心は金子を懐にしまうと何処かへと駆け出した。
場所は再び変わる。弥彦たちの住む町にある、とある大店だ。この大店は霧の大陸や遥か海の彼方の大陸から運ばれてきた品々を扱っている。そして、そんな大店の敷地に商人には見えないなりの男達が屯している。その中には弥彦の姿があった。腰には唐傘を差している。
『何やら物々しい雰囲気ですね』
唐傘から声が聞こえる。この唐傘、弥彦の妻である唐傘おばけのお華が傘の形に変じた物だ。
「この頼みを引き受けてしまったのは失敗だったかもしれぬな」
『はい…何も起こらなければよいのですが…』
弥彦がこの場にいるのはこの大店の遣いに頼まれた為である。執拗なまでの頼みに半ば弥彦が折れた形だ。そして、弥彦はこの頼みを断らなかったことを後悔していた。弥彦の他に集められた男達の殆どは、一目見て堅気でないと分かる。大店が所の破落戸を抱え込むということは、それだけ後ろ暗いことをしているのだ。
「何も起こらないことを祈るばかりだ」
弥彦は不安を隠すことなく、そう溢した。
時は過ぎ、夜になった。点々と灯されている篝火だけが辺りを照らす新月の夜である。
弥彦は篝火を頼りに敷地をあてどもなくふらついている。特に持ち場は決まっておらず、皆、思い思いの場所に陣取っているようだ。
「暗く静かな夜だな」
『ええ、これもまた趣のある夜でこざいますね』
「場所がここでなければ、尚の事な」
『それを言ってはなりませんよ』
弥彦とお華がとりとめもない話をしていると、店で働く者達が住み込む部屋から女中が一人出て来た。女中は弥彦とすれ違い様に目礼をすると、足音を立てる事なく静静と歩いて行った。
大店の裏口に、先ほどの女中がいる。傍らには、気絶させられたのか身動き一つしない男が簀巻きにされている
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