『あの森には恐ろしい魔物がたくさんいる。見つかってしまえば最後、身体の肉を貪り喰われてしまう。だから、絶対に足を踏み入れてはならない』
そう何度も口酸っぱく言うのは、反魔物国家の街に住む住人たちだ。
その森とは、その街の外に出てすぐに見つかるくらいには、近い距離に存在する。
しかし、その森はとてつもなく深く構成されているらしく、教団による調査も未だに終わってはいなかった。
奥深くに入り込んでいったものは、例え勇者であれど帰ってきたものは一人もおらず、それが調査が終わらない大きな要因となっているのである。
いつしか、その森は『帰らずの森』と呼ばれ、調査に乗り出すものはいなくなり、入り込んではいけない禁忌の場所だとされた。
そんな帰らずの森に対して、好奇心の塊である子供が興味を向けないわけがなく。
ある日、一人の男の子がとうとう森の中に入り込んでしまったのである。
「わぁ……!」
その男の子の名前は、アンリ。
両親に何度も諭され、絶対に入るなと言われた森の中。
太陽を遮断するほどに鬱蒼と生い茂る木々は、『帰らずの森』と呼ばれるに相応しい不気味さを醸し出しているが、初めて入るアンリ少年には好奇心を満たす興奮材料でしかないようであった。
奥へと進んでいくほど薄暗くなっていく森の中は、方向感覚を狂わせ、自分の足取りを分からなくさせていく。
しかし、そんなことも構わず、アンリは森の中をたった一人で探検していく。
とは言え、魔物がいると散々言われている場所である。見つかってしまえば死を意味することは、彼自身もよく分かっていた。
「…………」
最初は恐る恐る、周囲を警戒しながら。
しばらくそうして森の中を歩き回るが、魔物に出会うことも無く、その気配も感じない。
彼の中で少しずつ、『魔物なんていないのでは』という思いが湧き上がり、警戒心が薄れていった。
そうして魔物に出会うこともなく、周囲に注意を払うこともなくなり、気ままに森の中の奥深くへと歩いていく。
もう彼には、魔物は存在しないものだと思い込んでいた。
「おやぁ? 迷子かなぁ、ぼく?」
「え……?」
そんな中、いきなりハスキーな女性の声が聞こえてきた。
声の聞こえた方に振り向けば、そこには意地の悪そうな表情でこちらを見る、三つ編みの赤い髪をした女の人がいた。
ピンクの小さなハートが装飾されている黒いビキニだけの露出的な格好で、その豊満な肉体を隠そうともしていない。
が、頭上に狼のような犬耳を生やし、肘や膝の先は黒獅子のような手足が伸びている。また、人体と獣体の境界付近には白い柔らかそうな毛に覆われていて、首の周りも同様の白い毛に覆われ、頭の後ろには、たてがみのように赤紫色の毛が密集していた。
そして、その赤黒い蝙蝠の翼や、膨らんだ先端に無数のトゲを持つ尻尾を見れば、アンリと同じ人間ではないことを察するのは容易である。
つまり、彼女は。
「ま……も、の……?」
それも、ひどく凶暴だと知られているマンティコアである。
その運の悪すぎる事実を、アンリは知る由もない。
「……へっ」
小さく呟くように言ったアンリの言葉に答えるように、彼女はその口角を吊り上げた。
――魔物に見つかってしまえば最後、身体の肉を貪り喰われてしまう。
その言葉を思い出し、彼の顔が一瞬で青ざめた。
「小さな可愛い男の子が、一人でいけないなぁ……誰かに聞いてないのかねぇ? この森には魔物がたくさんいるってさ」
「ひっ……」
魔物が一歩だけ、こちらに近付いてきた。
狼の耳の前から、顔の両横から首の下まで伸びている、垂れた犬耳のような赤い髪が揺れる。
思わず身体をびくつかせてしまい、それがより彼女の嗜虐心を煽ることになった。
「た、たべるの……?」
びくびくと身体を震わせながら、アンリも一歩だけ後ろに下がる。しかし、魔物との歩幅に対して、その一歩はあまりにも短すぎた。
先ほどよりも、魔物の姿が近く、大きくなる。
「くっく、どんな味がするんだろうねぇ……アンタみたいな小さな人間を食べるのなんて初めてだから、楽しみで仕方ないんだ」
大きく舌なめずりをしながら、また一歩、近付いてきた。
その紅い眼光は鋭く、彼女から目を離せば一瞬で喉元を喰い千切られそうな感覚に陥る。
恐怖に身体が言うことを聞かず、足が動かない。距離を離すことすら出来なくなっていた。
彼は、勇者でも冒険者でも何でもない。小さな子供でしかなかった。
だからこそ、魔物に出会った時点で、彼の運命は決していたのだ。
アンリが恐怖に怯える様を、魔物は愉快そうに笑いながら距離を詰めてくる。
「確かに味も楽しみだけど、それ以上に――」
魔物が一歩、近付いてくる。
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