昼の中央通りは混雑していた。通りに面した酒場の窓際の席に座っていたディーノはそれを眺めつつ、手元のジョッキを口に運んでビールを飲んだ。炭酸と苦みが喉を通過する快感を求め、つい多めに飲んでしまった。やはり酒は良いものに限ると彼は思った。
カトレアから商館の代金を受け取ってはいたが、ディーノは今日までそれを使ってはいなかった。急に手に入った大金の用途が思い浮かばなかったからだ。とはいえ、金は使うものなので久しぶりに少しだけ贅沢をしてみた。ぶ厚いステーキも見事な柔らかさで、つい酒が進んでしまう。毎日食べたくなる誘惑に駆られるが、ディーノはそれを自制した。商館売却の代金は大金とはいえ一時的な収入だ。調子にのって使えば、いずれまた不味い酒を飲むことになる。それだけは避けたかった。
たっぷり時間をかけて昼食を終え、店を後にしたディーノはのんびりと東に向かって歩いた。中央通りほどではないが、こちらもけっこうな賑わいぶりだ。正面から歩いてきた中年の婦人を避けた時、ふとディーノはある場所に目を向けた。
二週間前にオープンしたばかりの『S&K』の看板が掲げられた商館は、少し前まで寂れた雰囲気を漂わせていた建物とは思えないほどに賑わっていた。なんでも、遠方の地から取り寄せている品がほとんどだからか、物珍しさもあってすぐに繁盛しだしたと聞いたが、実際に見るとそれ以上のようだった。
「あの女なら不思議ではないか……」
ディーノは脳裏にカトレアを思い浮かべた。美しいだけでなく、商才も持ち合わせた女。しかし、その内側には魔性のようなものが渦巻いている気がしてならない。妖花という表現があれほど似合う女もいないだろう。取引をした日のことを思い出し、それを追い払うようにディーノは首を振った。
もう関わることはない。
ほんの少し前まで自分の所有物だった建物から目を逸らすと、ディーノは逃げるようにその場を去った。
その夜。夕食を済ませてディーノが一人晩酌をしていると、家の扉がノックされた。時計を見ると九時だった。こんな時間に訪問してくる知人に心当たりはないと思いつつ、玄関に向かい扉を開けた。そこに立っていたのは黒のドレスに身を包んだ美しい女性だった。むき出しの白い肩や僅かに覗く谷間が夜の闇の中で一際目立ち、つい目を奪われそうになる。
「どちらさまかな」
「夜分遅くにごめんなさい。私、アンナといいます。こちらで家を貸していただけると聞いてきたのですが」
どうやら客らしい。ディーノは扉を開け放った。
「お客さんは歓迎だ。入ってくれ、詳しい話をする」
「ありがとうございます。あの、これ差し入れです」
アンナが手にしていた紙の箱を差し出してきた。
「これは?」
「ケーキです」
「そうか。ありがとう。では、説明の時にいただくとしよう。ついてきてくれ」
アンナを依頼者の用の席につかせるとディーノは声をかけた。
「飲み物はコーヒーでいいかな」
「はい。気遣いありがとうございます」
コーヒーとケーキ用の皿とフォークを用意して戻ると、ディーノもアンナの向かい側に座った。
「さて、さっそくだが話を始めていいかな」
そう切り出した時、初めてアンナがディーノをじっと見つめていることに気付いた。
「なにか?」
怪訝に思って尋ねると、アンナは小さく笑った。
「いえ、聞いていた通りの人だと思いまして」
「聞いていた? どういうことかな」
「ふふ、後でお話します。それよりディーノさん、せっかくコーヒーを用意してくれたんですし、先にケーキを食べませんか?」
アンナの目が机に置かれた箱に向かった。
「あ、ああ。そうだな。ではそうしよう」
話を逸らされたなと思いつつ、ディーノは箱を開いた。そこには二つのショートケーキが納まっていた。ただ、乗っているフルーツがどちらも苺ではなく、片方は赤い果実、もう片方は青い果実だった。両方ともディーノは見たことがなかったが、見るからに熟れていて美味しそうだ。
「珍しい果物を使っているようだね。アンナさんはどっちがいい?」
「あら、私が先に選んでいんですか?」
「ああ、構わないよ」
「では、私は赤い方をいただきますね」
アンナが赤い果実の方を選んだので、ディーノは必然的に残った青い果実のケーキとなった。
さっそくフォークで食べてみると、意外なことに青い果実は酸味が強かった。それがクリームの甘さと合わさってくどさを相殺し、上品な味となっていた。
「ふふ、甘くて美味しいですね」
「ん? アンナさんの方は甘いのか。俺の方は酸味があるよ」
「あら、そうなのですか? では、こちらも食べてみます?」
「いや、けっこうだ。酸味があるとは言ったが、くどくなくてこっちも美味しいよ」
「そうですか。それはよかった」
目を細め、アンナは嬉しそうな笑みを
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