前編

 今日も店は閑古鳥が鳴いている。
 それでも店主のリックはそれを気にしたことはない。
 小さい頃から花屋を開くのが彼の夢だった。色鮮やかな無数の花に囲まれ、その香りを楽しむ。我ながら少し女々しい上に素朴だとは思うが、そんな生活に憧れていた。
 そしてその夢は叶い、町の一角に小さいとはいえ念願の花屋を持つことができたのだ。花は日々の生活の必需品ではない上に、同じ町内には他に二店も同業がいるので売り上げは残念ながら芳しくないが、それでも彼は今の生活に満足だった。
 そんなリックの店がなんとかやっていけている理由は、大口の買い付けをしてくれる客がいるからだ。その客とはこの辺りを治める領主で、月に一度町で開かれる会議に出席し、その日に決まってリックの店に来てくれるのだ。
 そして今日はその会議の日。時刻はもうすぐ昼になろうとしていたが、いつ訪れるかもわからない領主のためにリックは昼休憩せずに店に立っていた。その甲斐はあったらしく、もうすぐ午後になろうかという時間に店の扉を開けて待ち人は現れた。
「リック、いるか?」
 日傘を畳む彼女は開口一番にそう言った。
「お待ちしていました、クレア様」
 カウンターにリックの姿を認めると、クレアはつかつかと歩み寄る。
 その拍子に軽くウェーブのかかった見事な金髪が揺れ、彼女の甘い香りがリックの鼻をくすぐり、体に緊張が走る。
「様はやめろと言ったはずだ。こうしてここにいる以上は私も客の一人にすぎん。領主といえど、客を差別するな」
「すいません。では……クレアさん。今日もいつもので?」
「ああ」
 誰に対しても平等に接しろというのが彼女の言い分なのだが、リックとしてはどうしてもさん付けで呼ぶことに抵抗を感じてしまう。
 ヴァンパイアの彼女はいつもきっちりとした衣装に身を包み、背筋もきちんと伸ばしているので姿勢がいい。それだけでも気品があるのだが、そこに彼女の容姿が加わるのですごいことになる。
 透けるような白い肌とルビーのような瞳を持つ顔はハッとするような美しさで、リックはいつも正視することができない。毛先だけ緩やかにウェーブする金髪も見事なもので、晴れている日は陽光によってきらきらと光り輝いている。
 それらを全て併せ持つクレアはまさに上流貴族と呼ぶに相応しく、どうしてもさんではなく様付けで呼ぶ方が適正に思えてしまうのだ。
 そんなクレアがいつもリックの店に来るのは、決まってある花を買うためだ。
「一応、ご覧になってからお決め下さい。出来がよくない花を売りつけるわけにもいきませんから」
「お前の育てた花にそんな心配は無用だと思うがな。まあ、分かったと言っておこう」
 二人揃って店の一角に移動する。そこにあるのはバラの花だ。クレアはその前で屈みこみ、そっと顔を近づける。そして、ふと柔らかく笑った。
 普段のクレアは口を引き結んで淡々とした表情しか浮かべないだけに、こうして不意に笑顔を見せられるとリックはどきりとする。
「やはりお前の育てたバラは色も香りもいいな。決まりだ。いつも通り頼む」
 褒めてもらえるのはやはり嬉しいもので、クレアにつられるようにリックも笑う。
「ありがとうございます」
「帰りに引き取りに来る。代金はその時で構わないか?」
「はい。ただ、いつもまとめてお買い上げいただいてますし、今回は少し値引きしますね」
 リックとしてはサービスのつもりで言った。しかし、それを聞いたクレアは途端に笑顔を消し、すっと目を細める。
「私に何度も同じことを言わせるな。客は全て平等に扱えと言ったはずだ。代金はきちんと本来の値段で払う。いいなっ!」
 なにがいけなかったのか、機嫌を悪くしたらしいクレアはそう言い捨てて、店から出て行ってしまった。
 リックは目を瞬かせてそれを見送ると、小さくため息をついた。またやってしまったという後悔が胸に渦巻いているのだ。
 クレアが花を買いにきてくれた時はいつも他愛のない会話をするのだが、リックとしては発言に気を遣っているつもりでも、なぜかクレアの機嫌を損ねてしまうことが多々あった。
 結果、今日のようにクレアが店を出て行くという形で終わるパターンがほとんどだ。人によっては理不尽だと怒るかもしれないが、リックはクレアに対して怒りを感じたことはない。
 どれだけ理不尽な言い方をされても、極稀に見せるあの笑顔を思い出すだけで、全て自分が悪いのだと思えるからだ。
 どうしようもないくらい彼女に想いを寄せている。
 複雑なため息をつきながら、リックはバラの花を丁寧に包んでいった。


 そんな会議の日から二週間後。
 リックはクレアの屋敷へ向かう道を歩いていた。
 懐には下書きに十日、清書に一週間と一月の実に半分以上を費やして書きあげた恋文が納まっている。前々から好きではあったが
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