都内の一角にある建物の前で、後藤雅也は足を止めた。そこには『モン・ムス』なる美容室があった。洒落た作りの綺麗な建物で、なかなかに目を引く。
雅也は今日ここに予約を入れてあり、こうしてやってきたのだ。だが、予約の時間まで間もないというのに、雅也は店の前で凍りついたように動けなくなった。
『モン・ムス』は最近できたばかりの美容室だ。都内に新しい美容室ができるのは別に珍しいことではないので、大多数の人は新しくできたのか程度の認識で、ろくに気にも留めなかった。だから、『モン・ムス』も数ある美容室の一つにすぎないはずだった。しかし、立ちあげた社長がかなりのやり手らしく、あちこちに働きかけ、すぐに何冊かの雑誌で紹介された。
記事ではそこまで大々的に紹介したわけではないが、それが皮切りとなった。一度訪れた人は口を揃えてあれ以上の美容室はないと豪語するのだ。特に女性に対する施術は相当なものらしく、まるで別人のようになるらしい。
雅也は直接見たわけではないが、友人の通う会社に行ってみた人がいるらしく、友人の話では女優になってきたとのことだった。あまりにも美人になるので、整形手術でもしているんじゃないかと思ったほどだそうだ。
もちろん男性客も受け付けており、こちらの意見も揃って好印象なものばかりだ。中には、いきなり店員に恋人になってほしいと言われた等、冗談のような感想も耳にしたが、結論として男女問わず満足できるという。
店の噂はあっと言う間に広がり、すぐにその知名度を跳ね上げた。
店は完全予約制で、しかも新規の客を優先するという前触れもあり、これはと思った人がこぞって訪れたのだ。予約は一か月分しか行わないのだが、月の開始とともに営業日の全ての予約が埋まるという繁盛ぶりである。
そんな華々しい来歴があるものだから、奇跡的に予約をすることができた雅也が委縮するのも無理はなかった。
しかし、いつまでも店前で凍っているわけにもいかず、勇気を振り絞ってオープンドアをくぐる。
入った途端にシャンプーやリンスのいい香りが鼻をくすぐる。入り口の正面はカウンターとなっていて、受付の女性が声をかけてきた。
「いらっしゃいませ」
途端に雅也の体に緊張が走る。それというのも、受付の女性がかなりの美人だったのだ。
「あ、あの、予約していた後藤ですけど……」
震える声でなんとかそう言うと、女性はすぐに微笑んだ。それだけで雅也はどきりと胸が跳ねる。
「後藤様ですね。承っております。では、こちらにどうぞ」
本日訪れるであろう客のリストと照合すると、その女性は店の一番奥の席へと案内する。
店内には当然他の客の姿もあり、それぞれに対応の美容師がついてあれこれと作業をしていた。それだけならなんてことない一美容室の光景だったのだが、その美容師達も揃って冗談みたいな美人ばかりだった。
それを見て、雅也は呆然としつつも納得した。これなら、男受けするのも納得できる。なにしろ、超高級クラブのホステスと言われても納得できるレベルの美人が自分一人のために甲斐甲斐しく世話をしてくれているのだ。これで喜ばない男などいないだろう。雅也も予約できてよかったと内心で喝采する。
「こちらでお待ち下さい。今、担当の者をお呼びしますので」
受付の女性が去っていくと、雅也は椅子に座った。固くなく、座り心地がいい。椅子からして客を精一杯もてなそうとする気遣いを感じられる。
来てよかった。まだカットもしてもらっていないのに、雅也はそう思った。
その時、受付女性の声が聞こえてきた。
「私だけど、千春さんにお客様が来たと伝えてもらえる? え、まだ来てない? どういうこと? 彼女、今日は出勤でしょう? は? 寝坊して遅れる連絡があった? そういうことは、すぐに連絡してちょうだい。……ええ、いいわ。こっちでなんとかするから」
がちゃりと受話器を置く音がした。
「まったく、これだからワーシープは……」
続く発言はよくわからないが、どうやらちょっとしたトラブルらしい。
雅也が耳だけで様子を窺っていると、店のドアが開く音がした。
「ただいま」
続けて澄んだ美声が聞こえた。
「あ、社長。あの、申し訳ないんですが、ちょっと相談したいことが……」
「どうしたの?」
受付女性は帰ってきた社長と小声でなにかを話し始めた。
こんなすごい美容室を立ち上げた社長とはどんな人物なのか、雅也は気になったのだが、席が奥のせいで受付の辺りはまるで見えなかった。
そうしている間に、二人の間では話がまとまったらしい。
「仕方ないわね。ちょうど時間が空いているから、私がやります」
「すいません、社長。千春さんにはよく言っておきますので……」
こつこつと近づいてくる足音がして、雅也はそちらを見る。そして凝視して
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