丸い月が、夜空の高みに浮いていた。
既に日が沈んでからかなりの時が立ち、日付も変わろうかと言う頃だ。
酒場には灯が点り、未だ喧騒を風に乗せて町はずれまで伝えている。だが、町はずれともなればもはや灯の光より星月の明かりの方が眩いほどであった。
そして、星月の明かりの下に、いくつかの人影があった。
「隊長、包囲完了しました」
「ああ、ご苦労」
町はずれに建てられた大きな屋敷から少し離れた場所で、三つ並ぶ影の内の二つが、そんな会話を交わした。
影の一つは軽装鎧に身を包み、剣を腰に帯びた兵士。もう一つは馬に跨り、屋敷を見据える聖騎士だった。
「包囲は完成したが…本当に一人で?」
うまにまたった聖騎士が、傍らに立つもう一つの影、馬上の彼自身より一回り低いほどの高さの人物に向けてそう問いかけた。
「ええ、問題ありません。むしろ私一人の方が良いぐらいです」
プレートアーマーで全身をくるみ、マントとフード、そして鉄仮面を被った巨大な影が、馬上からの問いかけに穏やかな声で答えた。
「私が突入し、彼らを押さえる」
「そして俺たちが、逃走した者を捕える、と」
巨躯の聖騎士と馬にまたがる聖騎士が、そう互いの役割を確認した。するとその直後、馬上の聖騎士が僅かに顔をしかめた。
「しかし…見世物小屋の捜索に、こんな人数を駆り出す必要が…?」
彼が疑問とともに屋敷に視線を向けると、廃屋に片足を突っ込んだ屋敷と、その庭に停められた幾台もの馬車が目に入った。
馬車の荷台や幌には、見世物小屋の名前と戯画化された初老の男の顔が描かれている。
「あなたもチラシをご覧になったでしょう。蛇女に猿人間、そして大魔王ルシの占い。いずれも、魔物との何らかの関わりがあるはずです」
「そう、なのか…?」
馬上の聖騎士の脳裏に、明るいうち見せられた見世物小屋のチラシが浮かび上がった。街から街へ巡業する彼らの見世物は、怪奇や驚異などと銘打たれてはいるものの、怪力男に火吹き男、そして百貫でぶ男と、いずれも曲芸と冗談の合間程のように彼には思われた。
「間違いありません。それに、この見世物小屋の団長の瞬間移動魔術は、下手をすれば魔王直下の魔物の助力を得ている可能性があります」
鉄仮面の聖騎士の語気に、徐々に熱のようなものが宿っていく。
「それに、街の人々の声を聴きましたか?あんな妙なものが居てはまともに日々を送ることもできない。弱き信徒がそう訴えているのですよ」
「まあ、確かにそんな話も聞いたが…」
そんな訴えをしたのはごく一部の偏屈な老人だ、と馬にまたがる聖騎士は心の中で付け加えた。この場でこの鉄仮面に抗弁したところで、彼の興奮を煽るだけなのだから。
噂によると、数年前に自身の右腕と言ってもいい尼僧を異端審問官に引き渡したと言う。そしてこの数年間、レスカティエに帰還することもなくただ一人であちこちを彷徨い歩き、魔物を捕えて回っているようだ。下手に興奮させたら何が起こるか分かったものじゃない。
「それでは、そろそろ私は参ります。外に出てきた連中の確保、よろしくお願いしますよ」
「了解」
一番危険な役目に就くのはこの鉄仮面の聖騎士なのだから、大人しくしていよう。
そう判断しながら、彼は馬上から短く応じた。
「行ってまいります」
「ご武運を、聖騎士ウィルバー」
屋敷に向かって進むその幅広い、巨大な背中に向けて、彼は敬礼した。


同僚の敬礼と、彼の部下の包囲を背に、程なくしてウィルバーは屋敷の入り口にたどり着いた。
開け放たれた門をくぐると、馬車や屋台が並ぶ庭に入る。防水布が掛けられた屋台の間を通り抜け、彼は玄関の前に立った。
そして、正面玄関を拳で数度叩いた。
籠手と分厚い木材のぶつかり合う音が、屋敷のエントランスホールに響く。
たっぷりと間をおいて、玄関が細く開いた。
「……はいよ、今日はもう終わってるよ…」
「こんばんは、夜分遅くすみません」
眠そうに眼を擦りながら顔を出した若い男に、ウィルバーは鉄仮面越しに声を掛けた。
「あなた方の一座の出し物に、魔物が関わっている恐れがありますので捜査に参りました。ご協力いただけますか?」
見上げるほどの巨躯と、鉄仮面越しの有無を言わさないその言葉に、若い男の目が見開かれる。
「しょ、少々お待ちください…」
どうにか彼はそう紡ぎ出すと、扉の内側に顔を引っ込め、扉を閉ざした。
「……」
ウィルバーは扉の前で、少し耳に意識を傾けた。
すると彼の耳に、いくつもの音と声が届いた。
最初に聞こえたのは、床板を軋ませながら駆けていく若者の足音。
そして、助けを求める声に紛れ、彼の呼吸音と声が響く。
『聖騎士だ!鉄仮面の聖騎士がガサ入れに来た!』
屋敷の外に聞こえないように、それでいて仲間たちにはよく聞こえるように、彼が押し殺した声を上げている。
『聖騎士だと!?』
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