木々の繁る山道を、人影が一つ歩いていた。
人の間に立てば見上げるほどの背丈と、異常に広い肩幅を備えた巨漢だ。
ただし、その姿は荷運びや登山家のそれではなく、プレートアーマーとマントで全身を追おうという奇妙な出で立ちだった。
そして、頭部を覆うフードの下には、覗き穴が穿たれただけの鉄製の仮面が顔を隠している。
「……」
鉄仮面の下から、微かな息遣いを建てながら、聖騎士ウィルバーは不意に足を止め斜面の情報を見上げた。
木々が視界を遮り、何も見えないが、ウィルバーの耳は確かに物音を捉えていた。
「…もうすぐ、ですか…」
木々の向こうに向けてそう呟くと、彼は止めていた足を踏み出した。すると斜面に鎧の爪先が食い込み、彼の一歩を支えた。彼の背後に目を向けると、ここまで登ってきた足跡が階段のように刻まれているのが見て取れ、ウィルバーの重量が尋常ではないことをあらわしている。
やがて、彼は木々の間を抜けると、山の中腹ほどにある広場に出た。
地面が平らになっており、木々も殆ど生えていない。そして、山肌には洞窟が一つ口を開いていた。
「ここのようですね…」
広場に散らばる細かい骨の破片を見回してから、鉄仮面を正面の洞窟に向けた。
すると、洞窟の奥から、砂利を踏みしめるもの音とともに何者かが近づいてきた。
「誰だ…?」
洞窟の暗がりから、いくらか眠たげな声とともに日向へ姿を現したのは、二十にもなっていなさそうかな顔立ちの少女だった。
だが、彼女の髪の間からは二本の角が天に向かってそそり立ち、背中には蝙蝠めいた広い翼が広がっている。そして太く長く発達した四肢の先端には鋭い爪が生えそろい、尻尾を含む全身を分厚い鱗が覆っていた。
いくらか人間らしい体つきを残しつつも、ドラゴンの特質を残したその姿は、魔物の特徴であった。
「これは初めまして。教団で聖騎士を務めさせていただいております、ウィルバーと申します」
「ほう、客人かと思えば、教団の聖騎士サマか…」
ドラゴンが、語気から眠気を取り除きつつ、楽しげに唇の端を釣り上げた。
「それで、何用だ?」
「ええ、実はこの近隣の集落で、牛などの家畜がさらわれるという被害が出ていまして」
「ああ、それは我がやった」
「なるほど。では、二度とそのような真似をしないでいただきたいのですが」
「ほう?」
ドラゴンは鉄仮面の聖騎士の言葉に、面白そうに声を漏らした。
「我に何かを命じたければ、力でねじ伏せてから今一度言うがいい。もっとも、兵隊を引き連れた聖騎士サマでは我に傷一つ負わせられるかどうか…」
「部下はこの山を包囲する形で待機させています」
「それは面白い。人間との一対一での勝負なぞ、久しぶりだ…」
マントの下で、ウィルバーの右腕が動き、掲げられる。彼の右手には、ごく短い投げ槍が握られていた。
「主神の名の下、信徒の命と財産を守るべく、勝負させていただきます」
「……」
ウィルバーの口上に、ドラゴンは唇の端を舐め、爪の生えそろった右手を握りしめた。



レスカティエの一角、日も碌にささない暗い一室に、一人の尼僧がいた。
机に向かい、ランタンの明かりを頼りに、彼女は積み上げられた資料から何事かを紙に書き写していた。
「…ふぅ…」
手元にある資料の内容の一部を写し終えると、尼僧はペンを置きながら一息ついた。
尼僧、イスタジアの上司である聖騎士の指示で、過去の聖騎士達に対する任務の内容をまとめているのだ。
「全く、とんでもないことになっているのね…」
ここ数年の、聖騎士に対する任務の概要を見返しながら、イスタジアはため息とともに呟いた。
そこに並んでいるのは、貴族や高僧の護衛が多く、魔物の討伐や異教徒の摘発に至っては十に三つほどしかないのだ。
確かに魔王交代後、魔物の襲撃が減ったという話もある。しかし、レスカティエに直接寄せられた直訴や聖騎士の出動依頼を見てみると、魔物による被害は減ったどころか増えたようにも見える。
『家畜がさらわれる』
『若者が誑かされた』
『娘が帰ってこない』
『魔物がいるお陰で山に入れない』
『お願いです』
『どうにかしてください』
『助けてください』
『助けてください』
『助けてください』
信徒たちの必死の思いがつづられた直訴状が、調べれば調べるほど出てきた。
だが、その多くは緊急性が低いと判断されて後回しにされ、やがて時間切れとなりここ公文書館に仕舞い込まれてしまっているのだ。
「…どうにかしないと…」
ごく一部の者の身辺警護のために聖騎士が駆り出され、今まさに助けを求めている者が放置されている。
この異常な状況を是正しなければならないという義務感が、イスタジアの胸中にも芽生えていた。
「ええと、次は…」
「おお、精がでとるね」
不意に背後から掛けられた声に彼女が振り向くと、そこには眼鏡をかけた老
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