昔、墓場は不潔だった。
浅い穴に柩を置き、僅かばかりの土をかぶせて墓とするため、カラスや野犬がが掘り返し、穴からは死臭が溢れ出た。
そして貧民向けの共同墓地とは名ばかりの大きな穴は、既定の人数に達するまで死体が放り込まれ、気休め程度の石灰が撒かれるばかりだった。既定の人数と言うのも、穴が一杯になったという意味であって、埋葬も積み上げられた死体に土をかぶせるだけである。
だが、教団の努力により葬儀法が施行され、葬儀や埋葬は一定の基準を満たさなければならなくなった。
墓穴の深さは死者の身の丈の半分以上でなければならない。貧民向け共同墓地は、五人まで、あるいは最初の遺体が入ってから三日以内に埋めなければならない。
そういった基準により、墓地に立ち込めていた死臭は収まり、穴の底から恨めし気に空を眺める貧民の遺体は土の下に消えた。
聞くところによれば、王都などの大都市では、墓場に木々はおろか芝生を植え、先祖の墓参りついでにピクニックが出来るような気持ちの良い墓地さえあるらしい。
もはや墓地はただ死者を埋めるための場所ではなく、終の棲家として認められつつあった。
だが、それは大きい都市での、最近の話だ。
新任の墓守は、あてがわれた小屋で溜息をついた。
そこそこ大きいとは言え辺境の都市の、古い墓場の管理を任されたからだ。
葬儀法の施行から久しいが、葬儀法通りに埋葬が行われているのはここから離れた墓場で、この半ば見捨てられた旧墓地は少し掘れば骨が出てくるほど浅く死体が埋められていた。
勿論、葬儀法施行前の死体ばかりで、ここで最近埋葬された死体は無い。
だが、死臭は土を通り抜けて旧墓地全体に広がっている。
彼の仕事は、この旧墓地の死体を掘り起し、改めて深く埋め直すことと、この旧墓地に死体を捨てに来る輩を見張ることだった。
「…うん?」
不意に、彼の耳を小さなもの音が打った。
ここは人家から離れているため、近所の物音が聞こえたわけではない。
誰かが死体を捨てに来たのか、野良犬が熟成された骨を掘り起こしに来たのか。
「あーあ、面倒くさい…」
彼は上着を羽織ると、スコップとランタンを手に小屋の玄関をくぐった。
外に出ると、いや小屋の扉を開けると同時に、むせ返るような臭いが彼の鼻孔に飛び込む。
死体から滲み出した汁が、土を浸透し風雨と時間によって醸された、独特の臭いだ。
腐臭とも刺激臭とも異なる、死臭に満たされた旧墓地を彼はゆっくりと進んだ。
墓石の合間、ところどころに生える草の影など、人の隠れられそうな場所を見渡す。
正直なところ、硝石のこびりついた墓石の影や、死体を糧に育った草の合間に隠れるなど、墓守である彼にとってもお断りだ。そんなところに隠れていた人間と取っ組み合いをすれば、怪我した場所が腫れたり、得体の知れない病気にかかるだろう。
だから、彼は怪しいものを見かけても、捕えるのではなく『二度と来るなよ』と諭してからそっと逃がしてやるつもりだった。
「おい…どこだ…捕まえるつもりは無いから、聞いてくれ…」
闇の中、ランタンの光で辺りを照らしながら、彼はそう未だ見ぬ誰かに向けて語りかけた。
「俺としても面倒事は避けたいが、仕事は増やしたくないんだ…だから、今日は見逃してやるから、二度と来るなよ…」
だが、応える者はいない。
墓地の奥に達し、物音は気のせいだったかと彼は胸を撫で下ろそうとした。
しかし、その瞬間彼の耳を土を引っ掻くような音が打った。
「…!」
息をのみつつ、音の方へランタンを向けると、光の中に不自然に膨れた土が照らし出された。
踏み固められてこそいないものの、長年の風雨によって固められた土が内側から持ち上がり、ひび割れているのだ。
そして、そのひび割れの間から、人間の物と思しき指が伸びていた。
「っ!?」
生き埋めにされた誰かが、地上へ這い出ようとしているのかと思い、墓守は盛り上がった土に駆け寄った。
だが、土を押しやりながら現れる指、いや手首は、生者の物にしては嫌に青白く、ところどころ擦り?けていた。まるで、腐敗して弱った弱った死体の皮膚が、少しの摩擦で簡単に破れるように。
墓守の眼前で土が破れ、もう片方の手と、土の中に続く腕が現れる。
死者の復活。
彼の脳裏にそんな言葉が浮かび上がるが、彼はすぐに打ち消した。ここに死体が埋葬されたのは、最低でも十年以上は前だ。とっくに腐り果て、骨になっているはず。
だが、土の下からはい出たのは、青ざめた肌の若い女だった。
死に装束の白い衣や長い髪の毛、そして青ざめた肌は土と泥にまみれている。
「う゛ぁぁああああ…」
土を引っ掻き、穴から下半身を引きずり出しながら、女がうめき声をあげた。
顔こそ墓守の方に向けられているが、その両方の目はどこまでもうつろで、まだガラス球の義眼の方が感情が宿っていそうだ
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