とある大きな街に、教会があった。
街の大きさに相応しい、大きな教会だった。
立派な礼拝堂や鐘楼を備え、わざわざ結婚式を挙げるためにこの教会を訪れる者がいて、鐘の音は町中に響き渡るほどであった。
そして、この教会には一人の寺男がいた。あまりに教会が大きいため、僧侶だけでは手入れが行き届かない。そこで彼は僧侶たちに代わり、あまり人目につかない場所の手入れや掃除をしていた。
鐘楼に並ぶ魔除け像の手入れも、彼の仕事の一つだった。
「〜〜〜♪〜〜〜♪」
鼻歌交じりに、バケツと布を手に彼は鐘楼を上っていた。
日は中天を過ぎ、もうすぐお茶の時間だが、彼には休憩する暇などない。いや、必要ないというべきか。
午後のひと時、一日の仕事の締めくくりとして、魔除け像を磨くことが彼の楽しみなのだから。
鐘楼を上りベランダに出ると、街の全景が彼を迎えた。目もくらむような高さから臨める、鳥と選ばれた者だけに許された景色だ。
しかし、寺男は絶景に酔いしれるわけでも、高みに目をくらませるわけでもなく、まっすぐにベランダの一角に向かった。
手すりを支える支柱の一本に据え付けられた、街を睥睨するガーゴイル像だ。
蝙蝠めいた翼を広げ、二本の角の下の見開かれた眼で街を睨み付けるその姿は、教会に近づく悪霊を震え上がらせる魔除けの役割を担っている。
しかし、その姿は悪魔と言うよりはむしろ、翼と角と尾を付けただけの一糸まとわぬ若い女のそれだった。
「〜〜〜♪〜〜〜♪」
寺男はバケツを足元に置くと、布を水に浸して絞った。
そして、程よく濡れた布でガーゴイルの表面を擦り始める。
広がった翼を磨き、埃を拭う。
一昼夜とは言え、風と埃に晒されたガーゴイルは汚れていた。彼がバケツに布を浸すと、水に黒いものが広がる。
寺男は布を揺すって軽くすすぐと、再び水けを絞った。
そして今度は支柱を掴む両手の、指一本一本を磨く。
怖ろしげな爪こそ生えそろっているが、その細腕細指は悪霊を引き裂くよりむしろ、花束でも握っていた方が似合う。腕を磨くたびに、彼はそう思っていた。
だが、石造りの彼女に花束を握らせることはおろか、指一本の曲げ伸ばしすら不可能だ。
だから、彼は毎度その思いを胸にしまっていた。
両腕を磨いたら、今度は足。
膝を曲げて屈む両脚はすらりとしており、拭うたびに彼はほれぼれとした。
触れると硬い石ではあるが、見る度に柔らかでしなやかに思われるその足は、きっと速く駆けられるのだろう。
そして、柔軟にしなる脚から繰り出される蹴りは大の男でも一撃でノし、締め技は絶妙な柔らかさを伝えながらも犠牲者の意識を容赦なく刈り取るのだろう。
被虐的な、ある種倒錯した興奮を彼が抱くのは、脚を磨くという行為に後ろめたさがあるからだろうか。
しかし、濡れた布が両足を磨き上げ、背中へと移ると打って変わって被虐的な妄想は掻き消える。
布を、石造りの背筋に沿って擦らせ、その滑らかなラインを指先で味わう。
運動すればしっとりと湿り気を帯び、うなじから垂れる汗が後を引くであろう。そして尻と腰の境目から、まっすぐうなじへと続く背筋に沿って舐め上げると、どのような味がするのだろうか。もちろん彼女の肌は石のため、極上の甘露はおろか、汗の塩味すらしないのは分かっている。
だがそれでも、寺男はその背筋を舐め上げたいという衝動を胸の内に抱えていた。背筋を舐め上げ、うなじをくすぐり、彼女の鼻にかかった喘ぎ声を聞きたい。
くすぐったさに身悶えする彼女の脇腹をからかい、そのしなやかな肢体をくねらせたい。
鐘楼のベランダから落ちぬよう、ガーゴイル像を半ば抱くようにしながら、彼は像の脇腹を磨きつつ己の脳裏に妄想の翼を広げた。
わき腹からうなじへ布を移し、その丸みを帯びた愛らしい顔を拭いてやる。
彼の脳裏で、ガーゴイルは『自分で拭けるよ』と口答えするが、有無を言わさず拭う。すると、彼女の抵抗は次第に弱まり、大人しくされるがままになった。
額を擦り、鼻筋を撫で、口の周りを磨く。そして布の裏表を変え、今度は両の頬を清め、目元を擦ってやる。
そして耳を裏も表も、その複雑に刻まれた凹凸を逃さぬよう、汚れを取ってやる。
今度は髪だ。本当なら櫛を使いたいところだが、石造りの毛髪に櫛は通らない。だから彼は布をすすぎ、絞り直して短い髪の毛を拭ってやった。
髪に櫛を通すように、石に刻まれた一房一房を念入りに拭ってやる。毛髪を模した細かな溝の間には、埃が溜まっており、布をあっという間に黒く汚した。
男は再び布をすすぎ、髪を拭ってやる。
やがて、男は彼女の髪の毛を清め終えた。布の水分を吸い、石造りの髪の毛が色づき、つややかに光を照り返している。触れれば絹糸のように指の間を流れて行きそうな錯覚を覚えるが、男が指を伸ばしても石の硬さと冷たさが指先に伝わるばかりだった。
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