昼を大分過ぎ、日差しが西日へと変わりつつあるころ、俺は荷物の乗った猫車を転がしていた。
俺が進んでいるのは、石畳に覆われた通りで、左右には石積みや漆喰塗の建物が並んでいる。
辺りの建物からは、作業音と労働者の喧騒が響いている。もう少しすれば作業は終わり、一日の労をねぎらう酒宴の喧騒に変わるだろう。だが、それまでは頑張らないと。
いくらか凹凸があるとはいえ、石畳に覆われた道路は、非常に進みやすい。
やはり、数年間魔界化していたとはいえ、ダーツェニカだけのことはある。
世界の金品を巡らせる、大陸の心臓と呼ばれていた商都の亡骸を、俺は進んでいた。
ダーツェニカを覆い尽くしていた触手の海が、文字通り枯れ果ててから数年が経つ。
ある日の昼間に突然始まった触手の枯死は、日没を迎える前に全体に波及した。そして、当時ダーツェニカを包囲していた軍による、一月掛かりの調査によって、完全に触手が死んでいることが確認された。
そしてその日から、ダーツェニカを離れていた商人達による新商工会と、王国軍によるダーツェニカの復興が始まった。
新商工会が王都の干渉を受け入れたのは、「世界の心臓」が触手の海に没しても、予想されていたほどの混乱が起こらなかったからだ。商取引や取引相手の消失による幾ばくかの混乱はあったものの、ダーツェニカまで出向いて売買取引を行っていた商人達が、大陸のあちこちに散ったことで、大陸の流通停滞は回避された、らしい。
難しいことは分からないが、どうやらダーツェニカの影響力は、自他が認識していたものよりはるかに低かったようだ。
その結果、ダーツェニカは王国に組み入れられ、王都の支配の下、復興の恩恵を受けることとなった。
しばし通りを進むと、建物の合間を抜け、街の中央に出た。
建物が無いせいで空が開けて見えるが、それは単に建物が無いだけでなく、街の中央部の数区画分のスペースが完全になくなり、巨大な穴があいているからだ。
穴の底には、復興作業で出た廃材や、引き剥がした触手の破片が積み重なっている。
俺は、猫車を穴の縁に向けて押し進めた。すると、人が落ちぬよう見張っていた兵士が、こちらに向けて軽く手を上げた。
「おう、もう終わりか?」
「この廃棄で今日は終わりだ」
「お疲れさん。気をつけてな」
俺の言葉に、顔見知りの兵士がそう挨拶を返す。
そのまま猫車を穴の縁に寄せると、俺は荷台に積み重ねられた触手の破片を、穴の底に向けて落とした。
小さな丘が丸ごと収まりそうな穴が、ほんの少しだけ埋まった。
「よし…」
これで、今日の作業は終わったに等しい。後は、猫車を用具置き場に戻し、監督に報告するだけだ。
作業を終わらせるため、猫車の向きを変えようとしたところで、俺の目に広場の一角に置かれた岩が入った。廃材にしては大きすぎるが、石材にしては粗削りな岩の塊だ。
「なあ、あれはなんだ?」
俺は見張りの兵士に、岩の塊の正体についてそう問いかけた。
「ああ、あれは『無名勇者の像』だ。昼間に運び込まれたんだ」
「像?」
兵士の言葉に、俺は岩に再び目を向けた。ちょっとした家ほどの高さはありそうな、縦に長い岩の塊だが、お世辞にも石造の類には見えない。
「何でも、ダーツェニカの触手を枯らした勇者を讃えるためと、俺たちがどこの誰だか知らんことの戒めのため、岩のまんまらしい」
「なるほどな…」
ダーツェニカに単身乗り込み、触手を枯らして行方不明になった無名勇者。うわさ話程度にしか考えていなかったが、実在したようだ。
「今はあそこにおいてあるが、この穴が埋まったら、街の中央部に移すそうだ」
「ダーツェニカ復興のシンボル、と言うわけか」
原因不明で始まった触手の浸食と、無名の勇者による解放。ただの岩をシンボルとして据えるのは、訳の分らぬまま始まり、何やらわからぬうちに収束した騒動を経験した街にはふさわしいのだろう。
「それで、ここで時間潰してていいのか?もうすぐ終わりだろ?」
「ん?ああ、そうだった」
うっかりいくらか雑談してしまったが、まだ時間はある。
「ありがとうな、じゃあ、また明日」
「おう」
俺は彼に手短に別れを告げると、猫車の取っ手を掴んで転がし始めた。
中央部から建物の合間の通りに入り、道を急ぐ。日が大分傾き、周囲が色づきつつあるこの時刻、既に一部の酒場は店を開け始めている。
早いところ俺も猫車を戻さないと、どこの店にも入れなくなる。
やがて、俺は未だ触手の残骸に包まれた区画の縁、通りに応急で作られた作業用具置き場にたどり着いた。
既に仕事を終えた同僚たちが、列を成して監督から今日の報酬を受け取っている。
「おう、お疲れ」
「遅かったな」
「先にいつもの酒場に行ってるぜ」
猫車を押しながら戻って来た俺に、仲間がそう声を掛けてきた。
「席取っておいてくれよ?」
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