商都ダーツェニカ。
大陸中の金品を吸い上げ、商取引を経て大陸中に送りだしていた、世界の心臓。
その数百年に及ぶ栄光の歴史が途絶えたのは、数年前のことだった。
ある日、地響きと共に街の全てが触手と粘液の海に没したのだ。
そびえる城壁の代わりに、触手の絡み合う肉の壁がそそり立ち、城壁の向こうには見上げるほど巨大な半球形の肉塊が鎮座していた。
そして、肉塊と城壁の間には、無数の触手がひしめきあい、粘液を互いになすりつけ合っている。
商都の変貌に、ダーツェニカ南方砦は駐屯している部隊を展開してダーツェニカを包囲し、王都から援軍が投入された。
自治都市であったダーツェニカの王都への反乱か、魔王軍の直接攻撃によるものか、王都はいずれの場合にも対応できるようにするためである。
だが、砦の駐屯兵と援軍による完全包囲の後も、ダーツェニカの触手は版図を広げるわけでもなく、ただ脈動するばかりだった。
「朝の見張り、異常なーし」
「おう、お疲れ」
ダーツェニカ包囲陣の一角、防壁に築かれた見張り台から降りて来た兵士の報告に、大型テントの中で書類を片づけていた分隊長はそう返した。
昨日もそうで、一昨日もそうだった。
ダーツェニカ南方砦から派遣されてそれなりに経過するが、たまに触手が鎌首をもたげる程度で、『異常なし』以外の報告は無いに等しかった。
「全く…」
テントの出入り口から外を見れば、塹壕と土を積んで固めた防壁の向こうに、赤いドームが聳えていた。
初めて目にした時は、噂に聞く魔王城が顕現したのかと身を強張らせたが、テントでの寝泊りと異常なしの日々が続くうちに、いつしか日常の風景となっていた。
噂に聞くところによると、ダーツェニカの一件に対し魔王が無関係であると使者を通して主張をしただとか、ダーツェニカに住んでいた魔物の被害について調査に乗り出しただとか言う話も出ているらしい。
だが、最前線である包囲陣では、王都や聖都、魔王軍の情勢などと関わりなく、肉の積み上がった元ダーツェニカを眺めて暮らしていた。
おそらく、ダーツェニカはこのまま動くこともなく、鎮座し続けるのではないのだろうか。
そんな予感が、彼の内に常に存在していた。
「分隊長?よろしいですか?」
「おう、どうした」
テントの入口から顔をのぞかせた兵士に、彼はにらみ合いを続ける未来から現在に引き戻された。
「久々に『勇者サマ』が来ましたので、報告に参りました」
「ほう、珍しいな」
兵士の報告に分隊長の口から、感嘆の声が漏れた。
『勇者サマ』というのは、この包囲陣におけるダーツェニカへの侵入希望者のことだ。ダーツェニカを支配する触手の群れに単身、あるいは少数で突入し、街を解放しようと言う崇高な目的を掲げた冒険者である。
だが、実際のところ彼らの本命は触手に埋もれる大量の金品の採掘が目的である。
ここ数カ月、訪れることのなかった『勇者サマ』に、分隊長は興味を抱いた。
「それで、もう帰ったのか?」
「いえ、まだ説明中です。ですが、今回はかなりやる気がある様ですよ」
王都は、ダーツェニカの変貌直後から殺到する、自称勇者のトレジャーハンター気取りに対し、ダーツェニカの金品採掘権を与える代わりに、救出や補助は一切しないという対応を取った。
そのため、包囲陣を訪れた『勇者サマ』に対しては、権利関係の説明を行ってから送り出すのである。
もっとも、彼らの多くは実際にダーツェニカを目にするか、救出も補助もないと聞いて戻る場合が多い。
久々の『勇者サマ』に加え、やる気があると言うのはかなり珍しいことだ。
「ちょっと様子を見に行こうか」
久々の命知らずの登場に、分隊長はペンを置いて立ち上がった。
兵士と共にテントを出て、しばし歩くと陣の後方、物資の搬入路近くで一人の男が兵士から説明を受けているのが見えた。
「以上の通り、指定区域内であなたが遭難、負傷しても我々は救出に向かいませんし、死亡時の遺体の回収もしません。よろしいですか?」
「理解した」
再三にわたって繰り返された兵士の言葉に、男は頷く。
「では、こちらの同意書にサインをお願いします」
兵士は、ダーツェニカへの潜入許可申請書や、救出が不要だという意思表明書を取り出し、男に差しだした。
だが、男はペンを手に取るわけでもなく、軽く頭を振った。
「…すまない、剣ばかり振ってきて、字が書けないんだ…」
「しかし、それでは…」
「ああ、いい、大丈夫だ」
担当兵士に声を掛けながら、分隊長は歩み寄った。
「分隊長」
「あんたが、ダーツェニカに潜り込もうとしている勇者だな?」
担当兵士を押しとどめながら、彼は男に声を掛けた。
「我々はお前さんのような、勇気と自信のある人物を歓迎する!だが、この書類はあとのごたごたで面倒くさくならないようにするためでな、どうしても『全部承知の上で
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